2013年03月19日

「 カメラ発明記念日 」に読む『 小 暮 写 眞 館 』 by 宮部 みゆき


こんにちは、今日も来て下さってありがとう。


3月19日は「カメラ発明記念日」になります。

なので、迷わずにこの作品を・・・・・



はい 、今日の読書は 『 小 暮 写 眞 館 』 です。


著者: 宮部 みゆき    講談社




美しい本です。

センスが良いとかスタイリッシュとかじゃなくて・・・


優しく春風を感じさせるような装丁( 写 真 )

季節的には3月の終わり〜4月上旬 菜の花畑に満開の 桜の木

2両編成のローカル電車、途中下車して歩きたいようなひなびた駅



そう、私たち読者は日常生活からほんの少し離れて、宮部みゆきの

物語世界に途中下車しましょうよ。



そうして、この物語を読み終えた時には、美しい 表紙 写真の持つ意味

私たち読者には はっきりと分かってきますから・・・・・



さて、この物語の主人公は花菱英一くん、呼び名は 「花ちゃん」 高校一年生。

両親と弟の四人家族・・・いや、もう一人妹がいたのですが

四歳の時に病死、亡くなった今でも 「ふうちゃん」 と呼ばれています。

出来の良い弟は 「ピカ」。 まだ小学生です。


この弟のキャラクタ、どこかで会ったような と思っていたら思い出しました。

宮部氏の時代小説 『 ぼんくら 』 シリーズに登場する弓之助クンに

よく似ているのですよ。

ただ、あれ程の美形ではなさそうですが w

(読んでいなかったらゴメンネ)



これと言って問題も無さそうな平凡な家族・・・に見えますね、

家族仲も良さそうだし。

そう、始めの内はそう思って読んでいけばいいの。 始めの内はね。



さて、一家が念願のマイホームとして購入、移り住んだのが古い商店街の中の、

これまた古い「 小 暮 写 眞 館 」


物好きな?お父さんの趣味で なぜか看板も掛けたままで 住みはじめたものの、

暮らして行く内に 不思議なことが起こり始めて・・・・

おまけに心霊写真のようなもの?まで持ち込まれるようになって

しまいますが・・・おいおい、どうする?




この物語は、発刊当初「宮部みゆきの 普 通 の 現 代 小 説

(つまり 殺人事件等は起こらない)」というのが謳い文句になっていた記憶があります。

いや、宮部氏の作品ですから、単なる「 普通の小説 」であるはずが

ないのですが w



作品のスタイルとしては四話形式の長編小説になっています。

かなりボリュームがあるので(700P以上!)

一話ずつ読むのもよし、適当な所で 区切りを入れて のんびり読むのも良し・・・


四 つ の 物 語 を 積 み 重 ね て いっ て 最 終 章 (話)で 大 団 円 を 迎 え ま す。



だから、始めの内は少々退屈かもしれないし、大きな事件が起こらないので、

ページを繰る手がとまらない・徹夜してでも最後まで早く読んでしまいたい!と

思わせるミステリではありません。



花ちゃんの学校生活や親友の 「テンコ」 との関わりなど日常生活を 軸として

ゆるやかにお話は進みます。

ストーリーと直接関係のない枝葉の部分---桜ちゃんの級友との関わりなど----

が結構多いのですが・・・


しかし、宮部氏がそういった部分をリラックスして・楽しんで書いた

であろうことは察せられます。



そして、始めの内はさほど 重要とは思われない・脇 役のヘンなヤツと思われていた

登場人物も 後々意味を 持ってくるのですから。



そう、この物語の主人公は花ちゃん(とその家族)ですが

実はもう一人( 隠れた )主人公がいるのよ。


あっ、それから、実体はないのだけれど 小暮写眞館の元の 御主人・

小暮 泰治郎氏 も一応は登場人物にしておきましょうか。

もう既に故人ですけどW



「 生きてる者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ 」

(一部抜粋・小暮写眞館を 斡旋してくれた不動産屋の社長の言葉です)



さて、第一話からのトピックスになる「心霊写真」の意味が知りたくて 奔走する花ちゃん。


心 霊 写 真 ?


いや、そんなおどろおどろしい物ではなく、人の想いが 目に見える形となって

写っているだけなので・・・

つまり、写っているのは 死者ではなく 生者の 想いなのだから・・・


( いや、それでも充分コワイかw しかしこの物語はオカルト小説ではありません )



問題は、その想いとは何かということ。



一話・二話と不思議な写真は続き、さまざまな想いの形を 私たちは知ることになります。



そして第三話に登場するのは どう見てもトリック写真なんですが・・・



この三話がスタートするのは 物語全体の中ほどからですが


この辺りから登場人物の数も増え、物語にドライブがかかってきます。


そうして、第四話ではそれまで 語 ら れ な か っ た こ と ・伏 せ ら れ て い た 事

表に出て 一気にクローズアップされ 明確な焦点を結びます。


家族の中で 小さな棘のように 皆の心に刺さっていた 妹の死の 事情やいきさつ・・・

家族みんなの心に影を落としていた事などが解決されていきます。



そして・・・・・



私たちは もう一人の主人公のことも知ることになります。



私たちが、ひととき宮部氏の小説世界に途中下車したように、

ひょっとしたら、その人物も・・・・・



「 あるとき、ある場所で 」と社長は続けた。

「 ある人に、自分にとってとても大切なことを知ってもらいたいと思う 」


(中略)

「 どうしても知ってもらいたいと思う。

けどね、それを知ってもらったら、もうそれまでのような距離ではいられない、

ということがあるんだよ 」



だから、最後には 姿を消す、いや再び 電車に 乗って旅立つのかな。


その人物にとっては新しい 再生の旅になるような・・・


けれど“ 駅 ”は置いてけぼりになるんだよね。



「 鉄道はありとあらゆるものを乗せることができる 」けれど


「 鉄道が唯一、乗せることのできないもの。それは駅だ。」



残された駅はちょっと寂しいかな?  それとも?




そうして、花ちゃんが大学生になったとき、配達された 一通の手紙。




私は、この物語を 読み終えたあと、もう一度ゆっくりと 美しい表紙を 見直しました。



もし、あなたがこの物語を未読であるならば


多分同じことをすると思いますよ、きっと・・・・・




つい最近知ったのですが、この作品はNHKのBSプレミアムで

ドラマ化されるそうですね。

3月31日(日)スタート予定 毎週日曜日 午後9:00〜 

2回目以降〜最終回 午後10:00〜


花菱 英一こと花ちゃんに 神木 隆之介

そして もう一人の主人公を演じるのは 成海 璃子・・・


脚本次第でどう変わるか分からないけど このお話に興味をもつ人

が増えるのは悪くは無いと思う。


うちにはテレビが無いので見られないけど、あなたのお家はどうかしら?



さてと・・・今日はこれでおしまい。


また明日ね。


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2013年03月18日

『 若 草 物 語 』を「 頭 髪 の 日 」に 読む  by オルコット


こんにちは、今日も来て下さってありがとう。


3月18日は「頭髪の日」です。


カンの良いあなたなら、また「若草物語」を読んだことのある あなたなら、

すぐにピンと来ると思う。


頭髪の日に『若草物語』?


頭髪・・・髪の毛・・・あっ、戦地にいるお父さんのために

自分の髪の毛を売ったジョーのことね!


はいはい 、今日の読書は『 若 草 物 語 』 です。

著者: ルイザ・メイ・オルコット (1832〜1888)



オルコット女史のこと、ここでは敢えて“ルイザ”と呼ばせてね。


原題は “ Little Women“

日本に初めて紹介されたときには 『 小 婦 人 』 というタイトルでした。

何か笑っちゃうようなタイトルですが、戦前のことだし日本語では訳しにくいタイトルかも。


まあ、ニュアンス的には「ちいさな御婦人方」とでも言うのかな?

登場するのは少女たちなのだけれど、girls ではなく 一人前の women

女性としての呼称になっています。



それが『若草物語』になったのは・・・・・



実は1933年に制作され公開された 映 画 の 邦 題 からなの。

さしずめ今なら、英語そのままで“リトル・ウィメンズ”とかになるかも、だけど


当時は、ニュアンス的にふさわしい題名によく変えられたから。


だから 『 若草物語 』とつけられて、それが本の方にも定着したのね。


珍しいケースだと思うけれど、これは素晴らしいネーミングです。

「リトル・ウィメンズ」 よりもはるかに言い得て妙の美しさもあります。


四人姉妹の物語・若草物語・・・もう このタイトル以外には考えられない ほど。

私はこのネーミングから、青々として美しい四つ葉のクローバーを連想しましたっけ。


さて、この作品が発表されたのは1868年。


ルイザが作家デビューしたのは22歳のとき。『 花のおとぎ話 』というメルヘン集でした。


もちろん、作家として食べていけるはずはなく、縫い物をしたり女中奉公をしたり

家庭教師をしたりしてお金を稼いでいました。


1867年には、少年少女向の 雑誌の編集者に職を得て ようやく経済的に安定するように・・・


その頃、ある出版社から 「 少 女 小 説 」を書いてみないか?とオファーを受けたのね。


そのことをルイザは日記にこう記しています。


「 ミスター・ナイルズが、少女向けの小説を書くようにと言った。

やってみようと返事をする。(中略) あまり気が乗らない 」



そこで、自分の家族をモデルにして、少女時代の思い出を交えて書いたとか・・・

まあ、半自伝小説といっていいでしょう。

ちなみに、挿絵は末の妹のメイが担当して描きました。



ところが、出版後はアメリカの少女たち圧倒的に支持されて続編が、その続々編が・・・と

”マーチ家の物語 ” は続きます。



作中に登場するエピソード、家族皆で作った新聞やお芝居ごっこ等

リアルな生活実感が共感を得たのかもしれませんし、登場する少女達が

決して完璧ではなく、みな 良いところ&欠点をもった少女

であることが受け入れられたのかも?


また、一応、メイン・キャラは ジ ョ ー なのですが

四人姉妹それぞれが異なったキャラクタであり、その分

読み手の感情移入がしやすかったのかもしれませんね。


あなたは四人の中で誰が一番好きかしら?




それでは、参考までに、ルイザのリアル・ファミリーをちょっと御紹介。

flower1976.jpg
1:長女----アンナ

美人のお姉さん。物語中の メ グ ですね。結婚後は2人の子どもに

恵まれているのも物語と同じ。


2:次女----ルイザ

小説の ジ ョ ー そのものとか!

ただ、ドイツ人教師のベア先生と結ばれたジョーとは違い

ルイザは独身を通しました。


3:三女----ベス

ベスはやはり ベ ス のまま・・・猩紅熱にかかった後も健康が回復できないままに

23歳の若さで世を去りました

人一倍内気ではあっても心優しいベスはルイザにとっても最も愛すべき

妹だったようです。


4:四女----メイ

絵の才能のある末っ子 エ イ ミ ー になりました。

ルイザが作家として成功してからは、ヨーロッパに留学させてもらい

画家としてそこそこの成功を収めます。


35歳のとき、15歳年下のスイス人銀行家と結婚(えっ、年下婚だったのね・・)

一女に恵まれますが、お産のあとに死亡・・・

忘れ形見の長女ルルはルイザに託され、そのままアメリカで幸福に

成長しました。


そしてお隣りの ロ ー リ ー


作品中で重要な役割を果たしている少年(青年)ですね。

彼そのもののモデルはいませんが、ルイザの知り合いの青年2人を

モデルにして創り上げたキャラクタだそうです。


1人はルイザの幼馴染で、正義感が強くて頭の良いアメリカ人青年

もう1人はヨーロッパ旅行中に知り合った、お茶目で陽気な

ポーランド人の青年だとか・・・



お次は両親といきましょう。



母親はアビゲイル・メイ・オルコット、ボストンの名家の出身です。

お隣のローレンス老人のモデルになったのはこの母方の祖父である

ジョセフ・メイ大佐ですね。


マ ー チ 夫 人 はそのまま母親の姿のようですが、追記しておくと、

当時の女性としてはかなり意識の高い人といえるでしょう。

ボランティアや今で言うソーシャル・ワーカーのような仕事をして

いたこともあったようです。


ルイザ自身も物語中の母は


「本当のお母様の半分もよく書けていない」と常々言っていたとか。




父親はエイモス・ブロンソン・オルコット。


父親を物語に登場させるに当たり、ルイザは少し悩んでしまったようですが、

従軍牧師として南北戦争に従軍させることにしました。

この事が物語の中で大きな山となり作品にとってプラスに働いているのは

あなたも御存知の通りです。



で、現実のお父さんは 教 育 家 といって良いでしょうか。


大変に教養のある学識の深い方ではあったのですが・・・

人道主義者・理想主義者・超絶主義者であり・・・


当時としては 風 変 わ り な 独 特 の 教 育 理 論 を 実 践 し た 方 です。


だって、南北戦争前のアメリカで 黒人の子どもと白人の子どもを

一緒に教えていたんだよ?

これ、当時としては信じられないほどの超リベラルなこと。


ただ、残念なことに長続きはしなかった・・・


(白人の)子どもの親からは非難ごうごうで学校を閉鎖せざるを得なかったので・・・


この学校は、そのまま若草物語の第三部 “Little Men”の

ジョーとベア先生の「ベア学園」のモデルともなっています。



理念は素晴らしいけれど、時代的には早すぎた人でしたね。

その教育理論が社会に認められたのは60歳を過ぎてからでした。


また、こうした理想主義者には有りがちな事かも知れないけれど

お 金 を 稼 ぐ こ と に は 縁 の 無 い 方 ・・・( ため息 )


で、こういうタイプの旦那さまを持った奥さんは苦労するんですわww

それは昔も今も、アメリカであろうと日本であろうと同じことw


ただ、友人には恵まれていて お金を貸してくれる人は多かったみたい。

また当代一流の識者との交流も多く、ルイザにとっては良い影響を与えたかも?


父親の負債は、ルイザが作家として成功してから全部返すことができましたが。

flower1713.jpg


あっ、そうそう、物語以外の『 若草物語 』関連本としてお気に入りの本がありますので

ついでに紹介しちゃいますね↓




『 若 草 物 語  ルイザ・メイ・オルコットの世界 』

W・T・アンダーソン  谷口由美子訳・構成・文   求龍堂


世界の文学写真紀行シリーズの一冊です。


オルコットを解説したビジュアル本なんだけど、これが、そのまま

若 草 物 語 の 世 界 と 重 な る のよ。


写真や当時の図版も豊富、家族のその後のことも書いてあるの。

オルコットの関連本は多いけれど、これが一番よく出来ているような・・・


もう一度『若草物語』を読み返してみたいなーと思ったならば

予備知識としてはもってこいの一冊になるかもしれません。

多分、大抵の図書館には蔵書としてありそうだし。



また、これだけ人気のある作品ですから何度か映画化・映像化

されていますので、映画のことなども少々・・・・・



年度・監督・ジョーを演じた女優さんの氏名の順に



1917年:アレクサンダー・バトラー監督

1918年:ハーリー・ノールズ監督

↑どちらも未見 DVD化もされていないようですが?


1933年:ジョージ・キューカー監督   キャサリン・ヘップバーン

1949年:マーヴィン・ルロイ監督    ジューン・アリソン

1994年:ジリアン・アームストロング監督 ウィノナ・ライダー



トータル的に評価が高いのがマーヴィン・ルロイ監督の 1949年版かなあ。


エリザベス・テイラーが三女、四女をM・オブライエンと姉妹の順番を入れ替えてはいますが、

多分今でも一番人気があるのがコレ。


ジリアン・アームストロング監督の 1994年版については賛否両論あるようで・・・

やや現代的すぎるきらいがあるかもしれません。特にキス・シーンは不要のような??

ただ、美術とセットは素晴らしかったなー。


他にDVD化されているものとして・・・


1970年:こちらは英国BBC放送のクラシック・ドラマ。

BBCのドラマは『高慢と偏見』を始めとして非常に優れたものが

多く、大好きなんですけれども・・・


四姉妹の性格上の欠点が誇張された脚本になっているみたい?

全体に起伏に乏しい感じがしてやや冗長。2時間程度の制限のある映画とは

違うはずなのに、出来の方はイマイチというのが私の本音。


また、ビジュアル的にはやや苦しいところが・・・

もう少し綺麗な女優さんたちを起用して欲しかったなあ (失礼!)




少女小説もしくは家庭小説の金字塔として、これからも

読み継がれていくであろう『 若草物語 』


いま読むと、悪人は登場しないし、道徳的に堅苦しい所や お説教臭い部分もあるにせよ

それでも手元に置いて読んでいきたい作品なの。


また、これほどまでに人気が続いているのは・・・・・読み手にとっては

多分、この 四 姉 妹 の 中 に 自 分 自 身 を 見 る からじゃないかしらね。



さてと、今日はこの辺にしましょうね。

また明日・・・

P.s 「若草物語」をイメージしたキャンバス・トートが有るの御存知? ( 私はこのシリーズで
「はらぺこあおむし」を持っています。)こちらは、一見無難な小花プリントに見えるけど 実は?

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2013年03月17日

「 硫黄島にて日本軍が全滅した日 」に読む『 栗 林 忠 道  硫 黄 島 からの手 紙 』


こんにちは、また来て下さってありがとう。


3月17日ですが・・・・・

少し迷ったけれども、やはりこれをトピックスにしました。


ただし、厳密に言えばこの日付は当時の “ 大本営 ” が発表した日付。

日本軍の組織的な戦闘が終結した日といってもいいか・・・


公式では17日になっているけれど、実際はこの後も戦闘が続いた事

を付け加えておきます。



さて、今日はどこからお話を始めたらいいか・・・ああ、そうだ

ねえ、あなたはこんなセリフを聞いたことないかしら?



「 敵 な が ら あ っ ぱ れ じ ゃ !」


そう、時代劇でよく使われるセリフだよね。


シチュエーションとしては 

立場的には敵であっても、その戦術や戦略の見事さ・勇敢さには

同じ戦士として賞賛を送りたい、というときに使わない?



例えば、武田信玄と上杉謙信はお互いにそう思っていたかもしれないし

神出鬼没のゲリラ戦法で徳川家康を最後まで悩ませたのが 真田幸村

結果的には負けてしまったのだけれど、家康は彼を高く評価している。

その戦いぶりは講談読み物『真田十勇士』として後世に広く伝えられたほど・・・



海外に目を向けると、第二次大戦中の北アフリカ戦線での

ドイツ軍のロンメル将軍(1891〜1944) (←ハンサムです。関係ないけど)


「砂漠のキツネ」と異名を取り、数の上では圧倒的優勢な英国軍を

たびたび壊滅させ英国軍を恐れさせた人物。


けれど、その戦術・戦略は巧みであり、また騎士道的でもあり、

英首相チャーチルをして「ナポレオン以来の戦術家である」と賞賛された人。

(ナチスに入党しなかった というのもポイントが高いと思う)



太平洋戦争下で、アメリカ軍にそう思わせた日本人といえば・・・



この人を忘れちゃいけない。 そう、栗 林 忠 道 中 将 (1891〜1945)です。



太平洋戦時下で、日米最大の激戦地と呼ばれた 硫黄島での戦いの

日本軍の 総指揮をとった人物。



はい、今日の読書は 『 栗 林 忠 道  硫 黄 島 からの手 紙 』


文藝春秋社   文春文庫      解説&年譜:半藤一利



この本は、栗林中将が戦地・硫黄島から東京&疎開先の妻子に送った

全41通の手紙が編まれています。


妻に宛てたもの・長男を始めとした子どもたちに宛てたもの、

どの手紙もみんな家族を思いやる言葉にあふれています。



たこちゃん!田舎はもう寒いでしょうから、いつもよく気をつけて

風を引かないようになさいね。

お父さんのいる所はまだあついです。蚊も蝿もブンブンしています。

では之で今日は左様ならをします。左様なら。

(中略)

11月26日  戦地のお父さんより

栗林たか子ちゃんへ


一部抜粋・次女たか子へ宛てたもの。 (但し、数字は漢数字)



昭和19年6月25日から始って 昭和20年2月3日、妻に宛てた手紙が最後でした。



そして、おそらくは3月26日夜 のアメリカ陸空軍野営地への 夜襲時に戦死・・・53歳でした。



若し私の居る島が敵に取られたとしたら、日本内地は毎日毎夜の様

に 空襲されるでしょうから、私達の 責任は 実に重大です。

それで 皆決死の 覚悟です。

十中九分九厘迄は 生還 は期せられないと思います。
(中略)

頭の中が惨烈な 戦闘、そして玉砕、そして其の後の 妻子の 身の上が

如何なって行くだろうか?と云う事許りです。


(一部抜粋)



昭和19年6月、サイパン・グァムなどマリアナ諸島はすべてアメリカ軍に制圧。

小笠原諸島が日本を守るための最前線になったとき

栗林中将が総司令官に任命されましたが

既にそのときに、もう死は覚悟していたようです。



アメリカ軍にとっても、小笠原諸島を制圧することは 重 要 な 意 味 を持っていました。

ここを基地・足がかりとすれば (補給基地としても)

日本本土への戦略爆撃がたやすく可能になるから。



当初のアメリカ側の思惑としては・・攻略はまあ5日もあればカタが

つくであろう、だったみたい。


ところが・・・・・



さて、ここであなたに 一枚 の 報 道 写 真 を思い出して欲しい。

有名な写真だから、あなたもどこかで目にしたことがあると思うの。


6人のアメリカ兵士が、岩山(擂鉢山)の上で高々と星条旗を掲げている写真です。



星条旗は風にひるがえり、まさに勝利の象徴のよう・・・


タイトルは「 硫 黄 島 の星 条 旗 」

史上最も有名な報道写真のひとつであり、1945年のピューリッツア賞を受賞した写真です。



恥ずかしながら、私はこの写真については勘違いしていました。

硫黄島の戦いが 完全に終わったあとの写真 だと思っていた のです。



米軍が攻め始めたのが2月19日で、写真が撮影されたのは 2 月 2 3 日

これで片が付いた、戦闘終了!と思った米兵は多かったでしょう。



そうじゃなかった。

これは硫黄島の戦いの ほんの 序 盤 に過ぎなかったの。



写真に写された6人の内、生きて祖国へ凱旋できたのは3人だけ。

そう、硫黄島の戦いはアメリカ軍にとっても想定外の悲劇を生んだから・・・



この小さな島での戦闘の犠牲者が、

ヨーロッパ戦線のノルマンディー上陸作戦 (いわゆる“ 史上最大の作戦 ”)

における死傷者数をはるかに上回ってしまった。


もちろん、日本軍の犠牲はもっと多かった。兵力2万人以上がほぼ全滅したから・・



戦闘の詳細は敢えて書きません。  書きませんが・・・・・




・アメリカは 攻めるのに 必死・・・何としてでも 攻め落とせ !

・日本は 守るのに 必死・・・何としてでも 守らねば!



どちらも必死の戦いが・・・どれ程の惨劇・悲劇、戦死者を生んだか・・・

あなたなら想像がつくと思います(涙)



かなり前のことですが、硫黄島の戦いを アメリカ側が 制作した 映像

(当時の記録フィルム)を見たことがあります。


完全に戦いが終結した後に撮影されたものですが・・・

死屍累々たる日本兵の死骸が最初に写されて、目を覆いたくなるような映像だけれど・・・




その後カメラは切り替わって、アメリカ兵たちが後片付け?をしている場面になるのですが


おや?と思ったのは、勝利した側・アメリカの撮影した記録映像なのに

写っているアメリカ兵たち、彼らは誰一人として嬉しそうじゃない。


勝ったんだよ、彼らは。  それなのに・・・・・


みんな消耗しきって、やりきれないような・苦しそうな表情で・・・



誰も 笑って いない。


この部分だけを見れば、まるでアメリカが負けた後みたいに見えるの。



ああ、これが 戦争 の 現実 なんだなあ・・と感じさせる映像でした。



最後に・・・・・・・



この硫黄島の戦いについて、ずっと後になってから

アメリカ軍幹部が 「 勝 者 な き 闘 い 」 と称したことを付け加えておきましょうか・・・




今日は暗い話になってしまいました・・・・イヤだった? 

ごめんなさいね。


明日は明るいお話になりますよ。 

では、またね。






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