2013年03月06日

「弟の日」に読む 『 おとうと 』


こんにちは、また来て下さってありがとう。

3月6日は「弟の日」ですよ。そう、弟。

あなたには兄弟がいるのかな?  お兄さん?  それとも弟?




はい、今日の 読書 は『 おとうと 』 著者:幸田文(1904〜1990)(中央公論社 新潮文庫)



この作品は1960年、市川崑監督により映画化されています。

その後は、2010年に山田洋次監督が映画化(吉永小百合&笑福亭鶴瓶)





但しこちらは原作通りではなく、市川監督に捧げられた映画なんですよね。

だから、舞台も現代であり、内容も幸田氏の原作ではないのですが

大きなテーマは不変です。つまり・・・



出来の良いおねえちゃん VS 出来の悪いおとうと の物語・・・



ところで、話は変わるのですが

ねえ、いわゆる「名文」ってどんな文章だと思います?

昨日の「美人」の定義と同じように今ひとつ分かりにくいのよ。


日本語として文法的に間違っていないのが名文?

では、新聞の文章は名文なのかしら? 社説とか、コラムとか・・・


難しい言葉を駆使して綴るのが名文?

きちんと正座して襟を正して読まないといけないような気分に

させられるのが名文?


いろんな定義はあるでしょうが・・・


敢えてこう言ってみようかしら?



その作家の魂がこめられていると感じさせる文章

読み出したら、もう途中で読むのを止められない文章・・・



丁度ピーナッツを一粒食べ始めたらなかなか止められないのと

同じように、続けて読みたくなる文章を「名文」と呼びたいなあ。

つまり、 名文 ピーナッツ 説 、というか・・・?

あっ、異論は認めますからww



そんな 名文で 綴られた のがこの『おとうと』



幸田氏の初めての小説作品です。

独特の文体なので最初は少々読みにくいと感じていても、その内に

「やめられない・とまらない」状態になります。



この作品で語られるのは幸田家そのものをモデルにした家族。

作家の父親・後妻の母親・長女のげん・弟の碧郎・・・

物語は姉のげんが17歳で弟の碧郎が14歳の雨の朝から始まります。

意地を張って傘をささずに学校に行く弟、後ろから追いかけて行く姉。

弟が傘をささないのは壊れたままで(母に言っても)無視された状態のままなのに

嫌気がさしたから。


けれど、素直に甘えて傘を修繕するか父親の傘を貸してくれ、とは

どうしても言えない・・・

だから、意地をはってわざと濡れたままで学校に行く。


心配して手拭いを持って追いかけてくる姉の事を承知しているのに、

わざと追いつけないように早足になる弟、やせっぽちのくせに肩をいからせて・・・

冒頭の有名なシーンです。



朝の通学シーンを語りながら、家族の状況や事情が分かってきます。



後妻である母親は、別に悪い人ではありません。

真面目なクリスチャンで、いわゆる「意地悪な継母」ではない。

ただ、リウマチを患っているので家事全般を娘のげんが背負うことになります。

家政婦(この時代だと女中)を雇うほどの経済的なゆとりもありません。


少しずつズレて噛み合わなくなる家族。


読者の立場でみると、いろんなしわ寄せが最年少の弟にきているのが よくわかります。


「 円満な家庭 が後楯 になっている子にはなんでもないようなことが、

不和な 家庭 にいる子には ぎくりと利く」



引用元:『おとうと』中央公論社 昭和47年 第三刷版



別に悪い子でもないのに、碧郎は学友とのトラブルから学校に睨まれて

「不良」というレッテルを貼られてしまいます。


この辺り、この弟の不器用さがあなたもよく理解できると思うの。


段々不良仲間と交際するようになり、度胸試しで万引きをしたりして遂には退学。

別の学校に転入してからも少しずつ堕落して行く状態が続きます。


そして2年後、弟は(当時は)不治の病であった結核を発病。


入院・転地療養・自宅療養、この時代にしては恵まれた状況ではありますが、

病状は悪化するばかり・・・

前半部は影の薄かった父親の存在感が増すのは、この後半部になってからです。


病んだ弟にぴったりと寄り添って看病するのがお姉ちゃん。

縁談もありましたが、敢えて受けずに まだ独身のままです。


感染の危機は充分に知りながらも献身的に看病する日々・・・

病人のわがまま振りに腹が立つことも結構あるけれど

でも、一番辛いのは病人の方なんだと理解もしている。


この弟も、お姉ちゃんが大好きで、ありがたいとは思ってもストレートに感謝はできない。

なまじ家族だけに素直になれない。

でも、それは「甘え」の表現なんだけどね。


ひとつの鍋焼きうどんを一緒に食べてくれと頼むシーンは辛かったなあ。

弟とお姉ちゃんの 手首をリボンで結ぶシーンは、山田洋次監督も取り入れていた名シーンでした。


そして、最終章で息を引き取るおとうと・・・


「こんなそぼんとした、これが臨終だろうか。死だろうか。

見るとみんなが立っていて、母だけに椅子が与えられていた。

父は合掌し、母は祈りの姿勢をしてい、誰も動かず、ざわめきもあり、

しんともしていた。これが死なのだろうか。こんな手軽なことで。

(中略)もっとよく納得行かしてもらいたかった。」



引用元:『おとうと』中央公論社 昭和47年 第三刷版 P226 


そう、生から死への転換は「え?嘘でしょ!」 と思う程あっけないものなんですよね。

だから、残された家族としては、納得がいかないような理不尽な気持ちになることが

結構あるんだよね・・・


ねえ、あなたは?

あなたは家族の死に立ち会ったことはあるかしら?


さてと・・・

今日はこれでおしまいにしましょう。

また明日ね。

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posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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