2013年03月10日

『 東 京 大 空 襲 〜昭和20年3月10日の記録 』 を 「 東京都 平和の日 」に読む


こんにちは また来て下さってありがとう。

・・・3月10日は「東京都 平和の日」・・・


「平和の日」って・・・確かに耳障りの良い響きはあるけれども。

でも、このネーミングは・・・ 皮 肉 としか思えないような? 


あ っ 、異 論 は 認 め ま す か ら 。


さて、3月10日については今現在読んでいる 宮部みゆき 氏

作品のなかに 地の文でこんな 描写がありましたので以下に 抜粋して

御紹介します。


「 あれは昭和二十年の三月のことだ。

忘れもしない、あの大空襲の前日のことだ。 」
      

  (中略)

「 その翌日の三月十日、東京 の下町は 大空襲で 焦土と化した。

母もいちばん下の妹も亡くなった。母さんとおチビは帰らなかった。

お骨さえ見つからなかったのだ。 」



引用元: 宮部みゆき 『 ソロモンの偽証 』 第1部 事件


この引用部分は 宮部氏の作品内容とは 直接的に関係はありません。

冒頭に登場するある人物のバックボーンを語った部分ですが・・・



はい、今日の読書は『 東京大空襲〜昭和20年3月10日の記録 』

著者:早乙女勝元  岩波新書





大変洋戦争末期においては、東京のみならず日本の主要都市が

軒並み米空軍の 空襲被害を受け多大な人的被害を受けたことは

あなたも御存知だと思います。



で、お尋ねしたいのですが、あなたはその事を 誰から 聞きましたか?


御両親ですか?  親戚の方ですか?  学校の先生ですか?

それとも・・・・毎年、終戦の日に流されるテレビ放送ですか?



今は2013年、1945年の終戦の日から数えてもう70年近くの月日が

流れてしまいました。

私たちのごく身近で辛い戦時下の日々を話してくれる人々は段々

少なくなっていく・・・

たんなる知識の断片としての記憶しか残らなくなっていく・・・

近現代史については、学校の歴史の授業でもそれ程の時間は取れないし・・


・・・少なくとも私の時代はそうでした。

第一、入試問題にも取り上げられることも少ないと思うし、ね。

それに、周囲の人々もあまり多くは語らない。口をつぐむ。



声高に語ってはいけない雰囲気がありました、戦後日本には。

何故だと思います? ねえ、何故だと思います?



著者の早乙女氏は3月10日の東京大空襲の炎の中を逃げ惑い

なまなましい空襲の実態を肌身で感じ、九死に一生を得た方です。

当時12歳、ぎりぎりで学童疎開を免れて工場へ勤労奉仕の毎日。

自宅は向島区寺島町でした。



この『 東京大空襲〜』は新書サイズですから、コンパクトで重量も

とても軽い本です。スマホと同じ位ポケットに楽に入るサイズ。



それでも・・・・中身は 重い本です。重い 重いずしりと 重い本です。



私が初めてこの本を読んだときの衝撃は今でも忘れられません。

だって、その夜に空襲下を逃げ惑う悪夢にうなされたから。


空襲の後(翌日以降)を写した写真も 何葉も挿入されています。

真っ黒に炭化した 塊のようなものが大量に 積み上げられた写真・・

それが人間、ほんの数時間前までは生きていた人間の変わり果てた

姿だと認識するには少し時間がかかった程です。


その他、この本の内容については敢えて詳しくは書きません。

だって******************なので ( 自主規制 )



ただ、空襲時間は2 時間程度なのに 死者が 8万人以上だったと

ここに記しておきましょうね。

8万〜12万という 曖昧な数字の 意味もこの本には記されていますから。


また、当時の記録については アメリカ側の 資料も詳しく紹介されていますので、

以下に一部抜粋しますね。 貴重な資料です。



「 カーチス・ルメイ将軍は、あたらしい、もっとも恐ろしい爆撃方法を採用した。

これは夜間、低空で目視爆撃をする方法で、無数の焼夷弾が使用された。

この戦術の変化は、厳密な意味での軍事施設だけではなく、“地域郡”への攻撃が加えられた 」


・・・・・つまり、住宅コミュニティへの 無差別 攻撃 のことです。


「 ある夜(3月9日)、--中略−大爆撃集団がグァム島から出発した。

つづいてサイパンとテニアン島から-----ぜんぶで334機で約2000トンの爆弾をつんだ。

目標地域についたとき、爆撃できるものがひとつでものこっていると判定したら、

編隊にとどまらず爆撃せよ、と乗員たちは命じられていた。 」


・・・・・かなりの低空飛行で B** から********が多かったわけですね


「東京から帰還の途についた尾部銃手は、約250キロはなれてからでも、
 
 
東京の火災が見えたと報告した。40平方キロ、約25万軒の家が焼かれた。
 

 約8万5000名が死に、4万名が火傷を受け、約100万名が家を失った」


その他、アメリカ空軍の巧妙&見事な作戦についての資料を読むと

これは単なる戦争中の軍事行動を超えた ジ****ド としか

思えないのですが。


当時の日本軍事力が息もたえだえ状態だったのは、日本国民より

アメリカの方がしっかり把握していたはずなのに、ね。

健康な成人男子は殆ど兵隊にとられて、残っているのは女・子ども

身体の弱い人やお年寄りばかりということも理解していたはず。

そんな、絵に描いたような“ 弱者”の群を*****のね。


・・・死亡した方々へも被災者へも、これといった補償もありませんでした。


終戦後も、

「日本の爆撃に対する人的な被害に対する知識は、著しく制限されておって、
 
 極めて得にくかった。政府による公式の、または非公式の、またはそれ以外の
 
 科学的な調査というものが、全く欠けていることは、驚くべきことである。」

・・・・・空襲中の死傷者についての調査資料は、絶無だそうです。 

いいのか? それで?


戦争が終わってからは、過去を振り返るよりも復興が第一だったし、

空襲の悲惨さは、当時の日本人みんなが受けたことなので、

東京だけの問題では無かったから?



日本の戦争**について、アジア****国々からの**はよく

報道されるけれども、日本の受けた***については 何故か軽く

見られている傾向******気がするのは私だけでしょうか?



早乙女氏はこう主張します。

忘れてよいこともあるが、忘れてしまってはならないこともある、と。

あの夜の東京は、まさしく 戦場 であったと。


もちろん、「昨日の敵は今日の友」であり、現在のアメリカは日本の大切な友好国です。

友人もいる好きな国の1つですよ。

現在のモラルや法律で過去を裁くことは出来ないし、ね。



けれども・・・・・


ああ、また今日も長すぎました。ごめんなさい。

3月10日の分については、私自身悲しくなるので 他の本を予定していたのですが、

やはりこの本を選びました。


正直言って、やりきれない思い・釈然としない想いが胸の中で渦巻いて

今晩は眠れなくなりそう・・・・・


ねえ、そんなとき、あなたはどうしますか?

お風呂に入ってから冷たいビールを呑んで寝ちゃうとか?


そうね、ビールもいいけれど、むしろワインを飲みたい気分、かな。

高価なワインなんか知らないし、安いので充分よ、私は。

過去の死者たちへ思いをめぐらすには 葡萄の恵みである

豊穣なワインがふさわしい・・・


生きている 証しのような 紅色に 澄んだワイン がお腹を温めて

凝り固まった辛い心をほぐしてくれるから。


一杯目のワインは 3月10日のために・・・・・


武器も持たず無抵抗のまま逃げ惑い、そうして焼死していった

何万もの方々に捧げようか。


二杯目はぐっすり眠るために・・空襲の悪夢にうなされないために。


最後の ワインはこの長いブログを 読んで下さった あなたの為に・・・。


チェアーズ!


明日の日付も悲しい日になるのだけれど、まずは寝ましょうよね。

おやすみなさい・・・



posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本のエッセイ&ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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