2013年03月24日

「 檸 檬 忌 」に読む『 檸 檬 』 by 梶井基次郎


こんにちは、また来て下さってありがとう。

3月24日は「 檸 檬 忌 」です。


そう、作家・梶井基次郎の忌日(命日)ですね。

「レモン忌」では感じが出ません w

やはり 彼の作品どおりに 『 檸 檬 忌 』でなければ・・・!



はい 今日の読書は 『 檸 檬 』です  著者:梶井基次郎

新潮文庫  ちくま文庫ほか



梶井基次郎(1901〜1932)が肺結核で亡くなったのは 31歳のとき

若い若い余りにも若すぎる死でした。


残された作品はわずかに 20編。

地味な同人誌に発表されたものが殆どで

商業誌(中央公論)に発表されたのは、『のんきな患者』のみ。


この作品が直木三十五、正宗白鳥によって新聞の時評に 採り上げられ

その後、小林秀雄が 好意的な書評を載せて ようやく世間に認められそうな矢先の死・・・



しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪え

ることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、

最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列

にならばして嫌応なしに引き摺ってゆく――ということであった。


『 のんきな患者 』より抜粋  これは最終部分です。



梶井基次郎が「最後の死のゴール」にたどり着いたのはこの作品を

発表してから2ヵ月後でした。



独身のままでしたが、恋愛の経験も(多分)無かったでしょうね。

三高時代に好きな女学生に ラブレター代わりに 自分の作品を贈ったそうですが、

あっさり拒否されたみたいですし。



彼の短編に 『 愛 撫 』 という悩ましげなタイトルの作品がありますが、

相手は女性ではなく ですから w


ほら、猫のペラペラした耳を切符切りでパチンとやってみたいと

夢想する話ですよ。


猫の柔らかな手を化粧道具に見立てたり、前足のプクプクした肉球を

閉じた目蓋にあてがうと心地よい・・・という、あのお話。




さて、『檸檬』ですが、発表されたのは1925年。亡くなる1年前に

三好達治等の協力で初の作品集として刊行されました。



えたいの知れない 不吉な塊が 私の心を 始終圧えつけていた。

焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――


( 一部抜粋  冒頭部分です )



梶井基次郎の作品の主人公−--殆ど本人なんですが---には

結核を病んでいる人物が多いのが特徴。

第三高等学校在学中から既に病気は進行していたと思われます。



だから、かっては美しいと感じたものや音楽を聴いても

心を慰められることも無く・・・・・



生活がまだ蝕まれていなかった以前 私の好きであった所は、

たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。

洒落た切子細工や 典雅なロココ趣味の 浮模様を持った 琥珀色や 翡翠色の

香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。

私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。


(一部抜粋)



このお店は丸善・京都店 

大正〜昭和の始めの頃 舶来製品を扱っていたお店は殆どありませんでした。

現代のお手軽に入手できるインポート製品ではなく、

あくまでも異国の香り高い上質な舶来品、ね。


かって、センスの良い上質な舶来品のことを「丸善好み」と呼んだ

事があるそうです。

丸善でしか見られない 美的でロマンチシズムを感じさせるもの 

多分、彼もそうしてウィンドウショッピングを楽しんだのでしょう



けれども、病状が悪化し始めてからは かっての喜びは感じられな

くなってしまう・・・

そんなとき出会ったのが・・・



いったい私はあの 檸檬が好きだ。

レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたような

あの単純な色も、それからあの丈の詰まった 紡錘形の恰好も。


(一部抜粋)



たった1個のレモンが与えてくれた冷たさ・清涼感は

主人公にとっては心地よいものでした。香りも重さも快い・・・

そこで主人公は久しぶりに 丸善に入り好きな画集を手に取ってみるのですが

弱った身体には その重ささえもが 苦痛に感じられてしまいます。


そこで主人公は何冊かの本を積み上げた上に・・・・



「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の

色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。


(中略)

見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調を

ひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、

カーンと冴えかえっていた
(一部抜粋)




畏るべし、レモンの威力・・・なのか?

そして、レモンを残したまま主人公は丸善を出ます。あの紡錘形を

したレモンを爆弾に見立て、爆発することを夢想しながら。



梶井基次郎作品は、(読み手によっては)難解であると評されることも多い。

どれも短編というよりはスケッチ・心象風景に近いものばかりですが

発想が飛躍、というか斜め上を行くというべきか・・・・・


学生時代から胸を病み、常に死と隣り合わせにいた事も影響しているでしょう。



編集工学者の松岡正剛氏は、こう指摘しています。


第三高の理化乙類に入学した梶井基次郎は理系ではあるが、

どこか危うい理系である、と。

タナトスを描いた夭折作家であるが、実は宮沢賢治とともに

理科系の文学の突端を切り拓いた作家でもあったと


↑ 松岡氏のこの指摘は鋭い。 



だからこそ、文系が 殆どの文学者の中で 異彩を放っているのでしょうか?



ならば、彼は理系の眼でもって 誰にも見えないものを 凝視していたのでしょうか?

その眼には世界がどのように写っていたのでしょう・・?



強 烈 に 印 象 に 残 って 忘 れ ら れ な い フ レ ー ズ を多く残してくれました

その意味では、小説というよりは 散 文 詩 と呼んだ方が分かりやすいかも。


良いとは思うが、どこがどのように良いのか言葉では表現できないとき

非常に便利なセリフがあります。



考 え る ん じ ゃ な い 、感 じ る ん だ・・・・・(あれ?どこかで聞いたような?)



とにかく、誰とも比較しようがない作風・・・なので。

梶井基次郎は 梶井基次郎であり 他の誰でもない、としか言えません。

けれども、作家としてのスタイルは完成されていると思う。



大正モダニズムの洗礼を受け昭和の始めの時代に

一瞬輝いた後 消えた存在でした。



もしも彼が現代に生まれていたら・・・

どんな作家になっていたか?と夢想したことがありますが

(いや、誰もがその“時代の子“なのだから、ナンセンスな発想ですが)



案外 SF作家・もしくは 映像作家 として 成功 していたのでは・・・



はい、毎度のことながら異論は認めますとも。



実は、SF作家の 伊 藤 計 劃 氏 の作品を初めて 読んだ時


思い出したのが 梶井基次郎なので・・・


しかし、その伊藤氏も 35歳の若さでガンで 病死されています(涙)



ところで・・・・・


梶井基次郎については、近々もう一度採り上げる予定があります。


そう、あなたも良く御存知の、例 の 有 名 な フレーズ が 出 て く る 作 品 をね。



それでは、今日はこれでおしまい。

また、明日ね。


posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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