2013年03月27日

「さくらの日」に読む 『 桜 の 樹 の 下 に は 』 by 梶井 基次郎


こんにちは、また来て下ってありがとう。


3月27日は「さくらの日」です。


日本さくらの会が 桜への 関心を高めるために 咲く(3×9=27)の

語呂合わせと 桜の時期が 重なる日を「さくらの日」として

制定しました。



桜ですから・・・関連した本、テーマとなった本、桜の花が重要かつ

美しいシーンの作品は多いけれど・・・昨日のトピックスに挙げた

渡辺淳一氏にもヤバイ程よく似たタイトルの作品があります。


宮部 みゆき氏のファンならば 『 天 狗 風 』 のラストシーンを、

京極 夏彦氏のファンであるならば 『 絡 新 婦 の 理 』の初めと終わりの

シーンを思い起こすでしょうよ。

『 細 雪 』 の平安神宮でのお花見シーンも忘れがたい。



小説ではなく、ぐっと時代を 遡れば平安朝の 和歌にも山ほど有るし。

奈良時代以降は“ 花 ”といえば“ 桜 ”のことだったのね。


現代の日本語でも  お 花 見 = 桜  という暗黙の了解があるからね。

他の花の場合は、名前をつけて“ 梅見 ”とか“ 菊見 ”と呼ぶ ( と思う )



花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に

もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ


もう少し後の時代だと、西行法師のこの歌も人気があるかな。

願はくは 花の下にて 春死なむ  そのきさらぎの 望月のころ


まあ挙げてゆけばきりがないけれども、やはり真打に登場してもらいましょうよ。



掌編ではありますが、強烈なインパクトを持つ作品を・・・・・ ・



はい、今日の 読書は 『 桜 の 樹 の 下 に は 』  著者: 梶井 基次郎


またまたまた 梶井 基次郎です。

桜 の 花 ”といえば、梶井作品のこれです(キリッ)


坂口安吾の『 桜の森の満開の下 』も考えましたが、実はこの作品も

梶井基次郎にインスパイアされて書かれたものですから。




とにかく、第一行目のインパクトが凄すぎる・・・・・




桜の樹の下には 屍体が埋まっている!

これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも

見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。

しかしいま、やっとわかるときが来た。

桜の樹の下には 屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。


(一部抜粋  有名な 冒頭部分です)



この作品の 内容云々以前に 冒頭 第一行目が一人歩きしてしまった感さえ

有るほどの有名な第一行目・・・・・



どこで 誰から 聞いたのか 覚えてもいないけれど、何故かこのセリフは

知っている・・・という方は多いと思う。


試しにYAHOO 知恵袋 とか 教えて!goo などで検索すると

「桜の花の下には死体が埋まっている」という言葉の出典を問うものや、

なぜそう呼ぶのか、どうしてなのかを問う質問がかなりあるから。


出典は知らなくとも耳にした経験や( 引用などで )読んだことがあるのでしょうね。

伝説であるとか 昔からの言い伝えであるとか、甚だしきは一種の

都市伝説ではないか、とか ww・・・



誰もが この一行目を聞いたら忘れられないようですね。

で、なぜ 忘 れ ら れ な い か、というと・・・・



単にインパクトがあるだけではなくて、ひょっとしたら

私もあなたも・・・そして多くの人が

共 感 し て い る 部 分 があるんじゃないかしら?


全面的な共感とまではいかずとも、ああ、そういう面もあるかも?

と思わせるような怖さ・・・・・



毎度のことですが 異論は認めます。



3月24日の「 檸檬忌 」に梶井基次郎の『 檸 檬 』を採り上げたけれど、

その中でこう書きました↓


>ならば、彼は理系の眼でもって

>誰にも見えないものを凝視していたのでしょうか?

>その眼には世界がどのように写っていたのでしょう・・?



一応クエスチョンマークをつけて 疑問形にしてはいますが

この質問の答え、 多分あなたはもう見当がついていると思うよ。



そう、まさしく “ 死 ”そのもの と思っていいかもしれない。



特効薬のストレプトマイシンが発明される前、結核といえば死病として

恐れられていた。


特に、若年層に感染しやすいことから「亡国病」とも呼ばれた時期もあった位。

梶井 基次郎にしても、子どもの頃から病弱で 祖母は結核、弟は9歳のとき

脊椎カリエスで死亡、お兄さんも 結核性リンパ線炎に苦しんだ人。

自身も18歳位のときにはもう結核に感染していたようだし

結局はそれで死んでしまうのだけれど・・・・・



現代のように 医療技術が進歩していない時代には、

若くして病死する人も 今以上に多かった・・・



敢えて、言い換えれば 死がもっと日常的に身近に存在していた

しかも、殆どの人が病院ではなく自宅で亡くなっているためか

身近で死そのものを見る機会も今以上に多かったはず。


死との親和性が高かったというべきか・・・・・



桜が “ いさぎよく死ぬ ”ことの代名詞 になったのは江戸時代から

“ 花は桜木 人は武士 ”一休禅師( 室町時代の人 )の言葉からの解釈で、

戦争中は特に強調されていたよね。



なので、この第一行目についての“ 桜の花 ”そのものの 連想としては

素直な( なのか? )感想だと思うよ。




しかし、全く別の意見を持つ人もいます。


評論家の小川和佑氏は著作『 桜の文化史 』の中でこう主張しています。


梶井はさくらに死を見たのではない。

咲き極まったさくらに生の輝きの極点を見たのだった。

自身の日々に衰えてゆく生命に対して、生命の輝きを見せる世古峡

のさくらに激しい憧れを抱いたからこそ、彼はさくらに死を見たのだ。

これは彼の逆説だろう。


(一部抜粋  ん? 誤植かと思わせる部分も?)



---散るさくらに生命の際を見るという、江戸時代以来の桜観を梶井

の場合は突き抜けているのだ。その桜観はひとたびは俗に堕ちたさ

くらをもう一度、聖なる花に回復させた。彼の桜観は死のさくらのそれではない。

繰り返すようだが生の極みとしてのさくらだった。


(一部抜粋)


節操なく思うけれども、この意見にも うなずける部分はあるよね

満開の桜は “ 生 の 極 み と し て の さ く ら ” には違いないので・・・・・



でも、その満開の桜が求めるものは・・・即物的に考えれば 肥料。

そして、人間の**ならば、さぞかし高級な有機質肥料でしょうよ ww



ちょっとグロくなったので話を変えましょう。


ねえ、あなたは 桜の花って 素朴に不思議な花だと思ったことはないかしら?

桜の木は 落葉樹だから冬場は葉が落ちているし、花の時期以外は目立たない。

地味な 普通の樹木としか思えないよね。


普段は何食わぬ顔をしていながら、年に一度だけ 満開の花を咲かせるのさ。

ごく短い時期に、あっという間に花開いて一週間ももたずに散ってしまう・・・・・



で、当然の事をいうようだけど、植物にとっての ”花 ”の 意 味

あなたもよく御存知だと思うな。



植物にとっては“ 花 ”は生殖のための器官。つまり、次世代再生器官。

その美しさで 虫や鳥を呼び込み、受粉させる・・・

目的を達したら、もう用無しになって花びらは散り枯れるだけだし。



新しい 生命を 産み出すために 咲き、そして 枯れる( 死 ぬ )

すべての植物にとって“花”の役割はそうしたものです。

見た目が 美しいか 地味目かは ともかくとしてね。



で、ふたたび 桜です。


日本人の好きな花のNO・1 がダントツで桜らしいの。

NHKの 放送文化研究所が 2007年に行った 調査の結果では

“ 花 ” “ 樹木 ”ともに桜がトップだったみたい。


もちろん、この調査は最新のものではないし、季節によっても差が

あると思う。


桜の開花時期なら(多分)桜がポイント高いだろうし、

梅雨時のあじさいも捨てがたい。 もっと他の花が好きな人も多いと思う。



けれども、仮にどんなアンケートをとっても、桜がかなりの確立で

上位に入ると思うの。


( ちなみに、この時のアンケでは 桜の次が チューリップ・薔薇・

コスモス・ひまわり・梅・蘭 と続きます )



文字通り、桜が日本の花の代表選手ならば・・・・・



桜の花は 日本人にとっては・・・生 と 死 を 象 徴 す る 花 なのかもしれない。


私たちは 潜在的にその事を知っていて、だからこそ

梶井のあの 第一行が忘れられない のかもしれないね・・・・



長くなり過ぎるから 今日はこの辺で終わりにしましょうね。


でもでも・・・最後に一行だけ・・・・・・


桜 の 花 は ・・・・・あ な ど れ な い ww


はい、これで本当におしまい

また明日ね。






posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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