2013年04月03日

「 植樹祭 開催の日 」に読む 『 虔 十 公 園 林 』  by 宮 澤 賢 治


こんにちは、いつも来て下さってありがとう。


4月3日は「植樹祭開催の日」とのことで、 木を植える・・・

『 木を植えた男 』も考えましたが やはり・・・・・


はい 今日の 読書は 『 虔 十 公 園 林 』 です。     著者: 宮 澤 賢 治


宮澤 賢治(1896〜1933)については、ことさら 説明の必要も無い人ですよね。

童話作家であり詩人であり、一時は 農学校の先生でもあったし

生涯を通して熱心な 農業の指導家でもあった人。


生前は無名だったけど、死後 草野心平によって作品が紹介され

いまも私たちが読むことができます。 そう・・・多分 永遠にね。



『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 はおそらく最もファンが多い作品ではないかしら?

とにかく“ 銀河鉄道 ”というネーミング・イメージは素晴らしいよね。

美しいけれども それは“ 死 者 の 列 車 ”なのだから。

乗客みんなが 死者なのだから・・・・・


賢治は 生涯独身だったけれども、盛岡高等農林学校(現・岩手大学)

在籍中に知り合った後輩の女性と一緒に登山して 語り合って夜を明かした・・・

・・・そうだけど、カムパネルラにはこの女性がイメージされているのかも?


その他、『 風の又三郎 』『 注文の多い料理店 』『 よだかの星 』

『 セロ弾きゴーシュ 』『 雨ニモ負ケズ 』・・・・・


などなど、郷里岩手に基づいた作品は根強いファンは多いし

時代が移り変わっても 不 思 議 と 古 く な ら な い  ので、

今後も 永遠に 読み継がれていくことでしょうね。



『 虔十公園林 』はその中でもやや 地味な存在かもしれませんが

『 雨ニモ負ケズ 』や『 風の又三郎 』とリンケージしたような部分もあり、

賢治の考え方が 比較的ストレートに 表現された 作品 だと思うな。

テーマが 明確に打ち出され メッセージ的な要素の強い作品とも言えます。




さて、主人公は“ 虔 十 ”(けんじゅう)という名で 農家の若い男性です。

今で言うと 少々 知的障害のある人です。


いつも笑って森の中を歩いたり 青空を飛んで行く鷹を見つけては

喜んでみんなに報告するような・・・自然の姿が大好きなのだけれど

周囲の人からは馬鹿にされています。


ある時、虔十は 家の裏にある 野原に杉苗を植えたいと言い出します。

虔十の初めてのおねだりを父は許し、700本の杉苗が規則正しく植えられました。

けれど、土地が悪いので9尺(約2.7m)ほど伸びたところで高さはストップ。


あるお百姓が 冗談で枝打ちはしないのかと言うと、真に受けた虔十は

下枝を全部刈り取ってしまい、杉林はがらんとした 並木道のようになってしまいます。

周囲の人は 嘲笑しますが、その小さな並木道は 子ども達の良い遊び場所になり 虔十は大喜び。


やがて、虔十はチブスで死んでしまいますが、

子ども達は相変わらず 杉の並木道で遊び続けます。


そして15年ほどたった後・・・


子ども時代にその並木道で遊んだ人が偉い大学の先生になり、郷里に戻ってきました。

周囲の風景は変わっていても 虔十の杉並木道は元のままで

相変わらず子どもの楽しい遊び場所になっています。

先生は、改めて虔十の事を思い起こし、こう言います。


あゝ 全くたれが かしこく たれが賢くないかは わかりません

たゞ どこまでも 十力(じゅうりき)の作用は 不思議です。


( 一部抜粋 ふりがなを打ってあります  十力=仏教用語・仏の持つ十の力 )


そうして、この杉の並木道を“ 虔 十 公 園 林 ”と名付け

永遠に保存するように提案します。


卒業生たちの援助もあり、立派な 石碑を建てることも出来ました。

虔十が唯一この世に残した 杉の並木道は・・・・・


ほんとうの さいわいが 何だかを 教えるか 数えられませんでした。

( 一部抜粋 )


さて、この作品で興味深いのが“虔十”という名前。

賢治自身が 自分の名前を“ K e n j u ”と綴った事があるので、

おそらくは 自 分 自 身 の 究 極 の 理 想 像 を 投 影 させたキャラではないかしら?



賢治の生きた時代には、福祉のインフラは整っていなかったし、

虔十のような人は 社会的にも 馬鹿にされ 厄介者扱いだった・・・。


けれど、敢えて彼を主人公にして、本 当 の 知 性 と は 何 か と読者に問いかける。


『 風の又三郎 』をお読みになった方はピンと来るよね?

最 も 愚 鈍 な る も の 最 も 賢 き も の な り    

( 一部抜粋 )


そして『 雨ニモ負ケズ 』の ラスト部分を思い出すに違いない。

ミンナニデクノボートヨバレ   ホメラレモセズ   クニモサレズ

サウイフモノニ         ワタシハナリタイ


( 一部抜粋 )



賢治の 実家は質屋さんで、単なる小金持ちではなく代々の 素封家。

当時としてはかなり 裕福な家だったと思われます。

( そうでなかったら、高等農林学校への進学は到底 無理 )


けれども、賢治は貧しい家の人々や 冷害で苦しむ農家の人々への理解は忘れなかった人。

いや・・・むしろ、過剰なほどの 罪悪感を持っていたのでは?と思われる点が多々あるみたい。



晩年の禁欲的な生活・ストイックな菜食主義を思い起こすと・・・ね。

賢治自身はストレートには語っていないけれども『雨ニモ負ケズ』等を 読むと

どうしてそこまで?と思う人も多いのでは?


賢治自身は 仏教に帰依した人ではあったけれど、キリスト教の 知識もあったはず

・・・と思われます。


子どもの頃 初めて『銀河鉄道の夜』を読んだときには

賢治は クリスチャンではないか?と思ったくらいですよ w



賢治については またお話する機会もあると思うので 今日はこの辺で・・・・・

また、明日ね。







posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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