2013年04月07日

「 戦艦大和が撃沈された日 」に読む 『 戦 艦 大 和 ノ 最 期 』 by 吉 田 満


こんにちは、今日も来て下さってありがとう。


4月7日は「 戦艦大和が 撃沈された日 」になります。

正確には 昭和20年4月7日 午後2時22分 空からの 攻撃を受け横転、

大爆発を起こし沈没・・・。



はい、今日の読書は 『 戦 艦 大 和 ノ 最 期 』 著者:吉田 満

講談社  講談社文芸文庫



著者の吉田満氏は(1923〜1979)は 昭和17年に東京帝大法学部に入学

学徒出陣で海軍予備学生として海兵団に入団。



昭和19年12月に 戦艦大和に副電測士(レーダーの担当者)として乗艦、

大和艦上において その日の戦闘状況を 記録する役目を与えられておりました

そうして 辛うじて生還された方です。吉田氏は そのとき 2 2 歳 でした・・・


敗戦後の9月に 御両親が 疎開されていた東京都西多摩郡に復員、

作家の 吉 川 英 治 と知り合い、その勧めにより『 戦艦大和ノ最期 』を

執筆する事を 決意されました。



昭和21年には雑誌「創元」に原稿を発表する予定でしたが、

GHQの 事前検閲により掲載中止の憂き目に会いました。


創元社より出版されたのが 昭和27年( ようやく日本の主権が回復した年 )

その後、昭和49年に決定稿として 北洋社から出版。

そして、いま私の手元にあるのは 昭和56年の 講談社版です。




さて・・・戦艦大和ですが・・・今日は どうお話していこうかな・・・




私が小学生のときですが・・・兄の読んでいた月刊漫画雑誌に

こんな特集があったのを よく覚えています。


「 世 界 の 三 大 馬 鹿 」 という特集読み物でした。そこに挙げられていたのが



1:エジプトのピラミッド

2:万里の長城

3:戦艦大和



↑↑ これ・・何のことか分かりますか?



つまり、図体ばかり大きくて 造るのにお金もかかったけれど

いざという時には全く 役に立たなかったもの という意味だったみたい。


但し、この時代には ピラミッドはファラオの単なる墓と考えられていました。

立派な墓を作っても財宝は皆盗掘されてしまった、という意味でのバカ。

万里の長城は 異民族の侵入を防げなかった という意味だったかな?



そして戦艦大和・・・はいはい、一番肝心な時に役に立たなかったのね。

(現代人なら、番外編で「タイタニック号」を入れたいかも?)



戦艦大和は 全長263メートル・全幅38.9メートル 46センチ主砲の

当時の日本海軍が 総力を挙げて造り上げた 最 大・最 強 の 浮 沈 軍 艦 ・・・のはず!

・・・・・だったのですが・・・甘い! 甘い!!



もう既に 当時の世界の軍事常識では 大 鑑 巨 砲 主 義 は 時 代 遅 れ になっていたんですよ。

真珠湾攻撃で アメリカ海軍に壊滅的な打撃を与えたのが

航 空 戦 力 だったのを忘れていたのでしょうか?


以来、アメリカは 今後の戦争の主役は 航空機 であると学習したのにね。



日露戦争当時、バルチック艦隊を打ち破った日本海海戦の 勝利の味が

忘れられなかったのか・・・



戦艦大和は この時以前にも3回出撃してはいます。

昭和17年のミッドウェー海戦と 昭和19年のマリアナ沖海戦では

実質的な戦いには追いつけず 空しく引き揚げただけ。

レイテ沖戦では 辛うじてアメリカ空母1艦を撃沈させましたが・・・



ちなみに、日本軍の作戦は アメリカ軍にしっかりと解読されていました。

この暗号解読に 貢献したのが IBMの前身だった事はあなたも 御存知かもしれませんね。




そうして、昭和20年4月6日 戦艦大和は 沖 縄 に 向 け て 出 撃 します。

「 海上特攻隊 」と呼ばれる使命を与えられ 最後の時を迎えるために・・・・・。





吉田氏のこの作品は・・・・・

昭和十九年末ヨリ ワレ少尉、副電測士トシテ「大和」ニ勤務ス

(冒頭一部抜粋)

・・・と始まる漢字とカナの文語体で書かれています。


読みにくいのですが、吉田氏は敢えてこうした文体にした、とのこと。

後に「 死 生 の 体 験 と 重 み は 日 常 語 に は 乗 り 難 い 」と語っておられます。

しかし、声を出して朗読すると非常にリズムのある 荘重な響きが・・・・・



さて、この沖縄出撃は天1号作戦と名付けられていますが、

片道分の燃料を積んで特攻、浅瀬に乗り上げて砲台となり、アメリカ軍の

沖縄上陸を阻止せよという無謀なものでした。



なぜギリギリの終盤になって大和を?という疑問も多いと思うのですが

結局は・・・陸軍との思惑や 負けるにしても全て武器を出し尽くして

負けたのだという実績作りのためか・・・・・表現としては不適切ですが

お役所の年度末の予算消化工事と同じ意味合いだったのか・・・・・



しかし、大和は単体の武器そのものではありません。

そこには 約 3 3 0 0 名 の 若 い 生 命 が 乗 船 し て い た のだから。

そうして、吉田氏も その中のひとりでした。


もはや生きては帰れないと覚悟を決めた 出撃の朝には 両親に宛てて

遺書を書きます・・・



遺書ノ筆ノ進ミ難キヨ サレドワガ書ク一文字ヲモ待チ給ウ人ノ心ニ、

報イザルベカラズ

母ガ嘆キヲ、如何ニスベキ

先立チテ散ル不孝ノワレニ、今、母ガ悲シミヲ慰ムル途アリヤ

母ガ嘆キヲ、ワガ身ニ代ッテ負ウ途 残サレタリヤ

更ニワガ生涯ノ一切ハ、母ガ愛ノ賜物ナリトノ感謝ヲ伝ウル由モナシ


(冒頭一部抜粋)


3300名の乗員たちには それぞれ残してきた家族達がいます。

妊娠中の妻の身を案じる者、新婚生活2日めで召集がかかった者、

みんな生身の人間ですから、心に思うことは多々あったはず。


実は この作戦についても ・・・・


天号作戦ノ成否如何 仕官ノ間ニ激シキ論議続ク

必敗論圧倒的ニ強シ


(中略)

米軍ノ未ダカツテナキ慎重ナル偵察

情報ニヨリ確認セル如ク、沖縄周辺ニ待機セル強力カツ大量ノ機動部隊群


(中略)

提灯ヲ提ゲテ ヒトリ闇夜ヲ 行クニモ等シキ劣勢トイウベシ

豊後水道ニテ逸早ク潜水艦ニ傷ツカン

アルイハ途半バニ航空魚雷ニ斃レン(青年仕官ノ大勢ヲ占メタル

コノ予測ハ鮮カニ的中セリ)



・・・・・確かに、途半ばにして、斃(たお)れてしまったわけですが

そんな中で、 白 淵 大 尉 という方の 発言が 吉田氏の記憶に強く残り、

仕官たちの論戦を収める事ができました。


「 進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ

日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジスギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ

本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ

日本ガ救ワレルカ 今、目覚メズシテイツ救ワレルカ

俺タチハソノ先導ニナルノダ

日本ノ新生ニ先駆ケテ散ル マサニ本望ジャナイカ 」


(一部抜粋)



そうして、4月7日午後12時32分、「 敵機ハ百機以上、突込ンデクル 」



戦闘開始です。



堅牢堅固ナル対空電探室 六畳間大、四周ニ鉄壁ヲメグラセルモ、

真二ツニ裂ケ、上部半バヲ散失ス

大斧ニテ竹筒ヲ叩キワッタル如キサマナリ 直撃弾、斜メニ深ク抉リ込

ミ撃発シタルカ


(一部抜粋)


しかし、これはまだほんの序の口でした。

その後、魚雷が左舷に命中しますが、大和ご自慢の対空砲火は 射 撃 を

目 測 に 頼 る
ため、周囲の厚い雲に 阻まれて使えず・・・


アメリカ軍の巧妙な作戦で 集中的に魚雷を左舷に命中させられた大和は

中排水システムの 限界を超え再度傾き 体勢を立て直すこともできないままに


傾斜復旧不能------沈没確実-----作戦挫折-----死ノ到来 

連想ハ瞬時ニ結論ヲ掴ム


(一部抜粋)


14時22分、横転、大爆発を起こして沈没・・・・・


この沈没前後の吉田氏の描写は息詰まる迫力があります。


氏は負傷はしましたが、辛うじて沈没の際の渦にも巻き込まれずにすみ

漂流中に 駆逐艦に救助されました。


この作品は以下のように終わっています。


徳之島ノ北西二百哩(マイル)ノ洋上、「大和」撃沈シテ巨体四裂ス

水深四百三十米

今ナオ埋没スル三千ノ骸(ムクロ)

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何


(一部抜粋 最終末部分 フリガナを付けました)


なお、爆発時の火柱は高さ2000メートル、煙は遠く鹿児島からも

観測できたそうです・・



さて・・・私たちは この作品を ど う 読 む か ・・・・


吉田氏 御自身は昭和27年版の後書きの中でこう語っておられます。

発表した当時、戦争肯定の文学であり 軍国精神鼓舞の小説ではないかとの批判もあった、と。

けれども、吉田氏は この作品に「 戦いの中の自分の姿をそのままに描こうとした

「 若 者 が 最 後 の 人 生 に、何 と か 生 甲 斐 を 見 出 そ う と 苦 し み、

そ こ に 何 も の か を 肯 定 し よ う と あ が く こ と 」
こそ

当時としては自然ではないかと。



前にもお話したと思うけど・・・

現 代 の 法 律 や モ ラ ル で 過 去 を 裁 く こ と は で き ま せ ん


あなたなら御理解いただけると思うのですが、

何か事件が起こった 後 に な っ て か ら な ら 何 と で も 言 え る のですからね。


また、当時の 彼らの状況としては 死ぬと分かってはいても逃げ出すことは出来なかった・・・

という事もお忘れなく、ね。



また、実際に 戦争に従事された方々からも教えて頂きましたが、

内地(日本)に家族を残して従軍した場合、その家族を守るためにも

自分が頑張らなければ!という気持ちが大きく、とても「イチ抜けた」と

逃げる気分にはなれなかったと・・・


この作品の白眉はなんと言っても、白淵大尉の発した言葉でしょう。

自分たちの死が 敗戦後の日本のためになるように 一度滅びた上で

未来の日本が 自分達の死を無駄にせず 生まれ変わって素晴らしい国

になって欲しい
・・・そういった意味ではないかしら・・・・・



水深四百三十米

今ナオ埋没スル三千ノ骸

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何


(終末部分 一部抜粋)


乗組員3300名余りの 9割以上の ご遺体が今なお海に 眠っています。



今日は随分と長くなりましたね。 重苦しい気分になったらゴメンね。

それでは、また・・・・・



posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本のエッセイ&ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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