2013年04月09日

「 南北戦争終結の日 」に読む『 風と共に去りぬ 』  その3  by M・ミッチェル



こんにちは、また来て下さってありがとう。



昨日に引き続き4月9日がテーマです。

今日で9日のテーマはお終いにしますね、さすがに ww



引き続き、今日の読書は 『 風と共に去りぬ 』 著者:マーガレット・ミッチエル

新潮文庫  集英社文庫ほか




さて、最初に ちょっとお尋ねしたいのですが・・・

あなたが『 風と共に去りぬ 』に初めて接したのは 原 作 でしょうか?

それとも あ の 映 画 からでしたでしょうか?



私は・・・私は 活字中毒者ではありますが・・・初めてこの作品に触れたのは

映 画 からでした。 中学の3年生でしたから、もう15歳になっていたかな?


当時は既に、映画は斜陽化した時代ではありましたが、母が結構 映画好き

だったので、近所の名画座に よく一緒に連れて行ってもらったから。



映画そのものは、テレビ放映などでも見る機会は多かったのですが、

やはり映画館で観る楽しみは格別なものがありました。

テレビ放送が日常の楽しみなら、映画館で観る映画は 非日常の楽しみ。



・・・・・館内が完全に暗くなり、周囲の人たちも おしゃべりを止めます。

そうして 緞帳が静かに上がり・・・始まる あの非日常の世界



あの時は、まだ『 風と共に〜 』がテレビ放映される前じゃなかったかなあ・・?


『 風と共に去りぬ 』は 母親がずっと以前に原作のダイジェストを読んで

この映画の評判もよく耳にしていたので 是非チャンスがあれば

観に行きたいと思っていたみたい。

私自身はまだ 原作を読んではいませんでした。




映画が始まったときの気分は 今でもはっきりと覚えていますよ。



名曲「タラのテーマ」と共に GONE WITH THE WIND


というタイトル・クレジットが 緩やかに流れていく頃・・・・・


ふと、「 これは ひょっとすると・・・何かすごい 映画なのではないか ? 」

と胸が高鳴ったものですよ。そういう予兆のようなものを 感じさせる力が

確かにあったと思う。・・・・・もう 場内は完全に静まりかえっています。



騎士道が 花咲き 綿畑の広がるその土地を

人は「 古きよき南部( オールド・サウス ) 」と呼んだ

その美しい世界に かつて生きた

雄々しい男たち あでやかな女たち

そして奴隷を 従えた支配者たちも

今ではすべて夢 人の心にのみ残る

風と共に 去った時代である



( 引用:『 風と共に去りぬ 』 オープニングシーン )


映画を 観る時には いつも売店でビン入りのジュースを1本買ってもらい

それを少しずつ飲みながら 映画を楽しんでいたのですが・・・

映画が始まってすぐに ジュースの事は忘れました ww



前半が終わって 休憩が入ったときにはジュースは すっかり生温かくなっていました。

ハンケチにくるんでいたジュースのビンをしっかり握り締めていたのよ。

で、さすがに喉が渇いたので飲んだのですが・・味がよく分からなかったほど。


田舎の15歳の少女には 刺激が強すぎたのかしらね ww




最後まで見終えたら、もう完全に虚脱状態・・・・・・




・・・面白かった?・・・感動した?・・・・・いや、違いますね。

私は ただただ 圧 倒 さ れ た のです。




物語に  映像に  音楽に  表情豊かな ヴ ィ ヴ ィ ア ン ・ リ ー の美貌に 映画の力に



ずっとずっと後になってから、この映画の 製作総責任者・ セ ル ズ ニ ッ ク の事を知りました。

彼が、監督よりも脚本家よりも遥かに強大な実権をふるってこそ

これだけ完成度の高い映画が実現したんですね。



帰り道で母親が しきりに 「 良かったわぁー。お母さん、泣いちゃった。」と言っていたけれど

私は 逆に涙一滴も出ずに ただ 打ちのめされた様な気分だった・・・



私は 映画を観ている間ずっと 南北戦争当時のあの時代のアメリカに

スカーレットの傍らに 心を寄り添わせていたのです。


そんな気持ちにさせた映画は それ以来二度とありませんでした。

( 15歳という年齢のときだからこそ かもしれませんが・・・)



夕食の席で 興奮して映画の事を話したような記憶もあるけれども・・・

兄が、南北戦争の映画?と興味深そうには聞いたけれど

よく考えたら、あれは戦争映画ではないんだよね。

戦闘シーンは全然無かったし・・・歴史映画とも違うような気がする。



母親は 敗戦国の辛さを充分に知っている世代だったから、スカーレットの

境遇や 南部の人たちの苦しみが 他人事とは思えなかったみたい。



母の実家も 戦後は 農地解放により殆どの土地を手放さざるを得なくなり

かなり困窮したそうだし、伯父は 公職追放の憂き目に会ったりもした。

敗戦した 南部の苦しみは そのまま 敗戦国 日本の苦しみ だったんだよ。



私は戦争を知らない世代だけれども 歴史の変わり目に生きた人々の

戦争によって傷つけられ失ったものの大きさと悲しみは子どもなりに

理解できたような気がする。


      
今ではすべて夢 人の心にのみ残る


風と共に 去った時代である


さて、原作を読んだのは 高校生になってからです。


普通、文芸作品が映画化される場合には、どうしても 監督の解釈や脚本に

よって 愛読者的には 不満が残る場合が多いのだけれど・・・



活字で描かれたキャラクタを 生身の役者さんが演じるわけだからね。

演出や役者さんの演技力の問題もあるし、何よりも各自の頭の中で

イメージしていた登場人物の容姿や 自分なりの解釈との

ギャップが生じるわけですから・・・


それに、映画の場合は時間が2時間程度と限られていますから どうしても

カットしなければならないシチュエーションやエピソードが出てきます。

やむを得ないのですが、その部分が原作世界の根幹にかかわる部分だったりすると・・・

愛読者にとっては許しがたいのです ww


ねえ、あなたも そんな風に思われたことはないかしら?


単独で 映画だけを観れば悪くはないけれども、原作と引き比べれば不満な事・・・


例えば・・市川昆監督の『 細 雪 』は海外でも評価が高い作品ですが

私的には ものすごーく不満が残る作品ですから。



ただ、この作品に関しては 全く違っていました。



原作を読んでから 映画を観たわけではなく、その逆だったからかもしれないけれど

逆に、原作を読むことにより 映画の補足ができた位でしたから。


ああ、そういう事だったのか!と改めて納得したり

映画では端折られていた 細部が描かれているので その部分を楽しめたり・・・


スカーレットの両親の 結婚の経緯も興味深かったなぁ・・・


アイルランド移民の成り上がりだった父親とフランス貴族の血を引く母親を

両親に持つスカーレットの魅力の根源が改めて分かったような気がした・・・


また、スカーレット自身も・・・決してインテリジェンスのある女性ではないけれど

(少なくとも、読書は好きではないタイプだと思いますよ www)

動物的なカンと知恵を備えた タフで有能な女性であることがよく分かる。 


けれども・・・・・


「 きみは、人間についての 直観力がない。

安っぽい人間と 偉大な人間を区別する 能力が無い。

ときどきおれは思うことがあるが、きみがこれまで接したうちで、

偉大な貴婦人といったら、きみのお母さんとメラニーさんだけだろう。

しかも、そのどちらからも、きみはなんの感銘もうけないようだ 」


( 『 風と共に去りぬ 』 第5部より 一部抜粋 レットの言葉 大久保康雄訳 )



そう、これは鋭い指摘ですよね。

結局は こうした点が本当の愛情を見抜けずに レットを失う原因になってしまうのだけど。


また、一見すると、スカーレットがメラニーを一方的に支えているように見えても

実は メラニーの影響力は結構大きかったことも言えるよね。


メラニーはスカーレットを完全に理解していた・・・とは言い難いけれど

少なくとも 彼女を全面的に受け入れていたし、アトランタ陥落のとき

どれ程スカーレットの世話になったかを生涯忘れなかったから。


スカーレットがレットと結婚して 街の人々から白い目で見られたときも

「 南部同盟未亡人の会 」のうるさい オバサマたちの非難に対して敢然と

かばう姿勢を見せた。

その愚直なほどの思いは ある意味ではスカーレットよりも強い女性かも?



あと、原作との 細部の違いは殆ど気にならなかったな。

スカーレットの子どもも、映画ではボニーしか登場しなかったけれど

原作ではウェードやエラもいるけれど、ストーリィには余り関係がないしね。



ただ、スカーレットとレットの会話の面白さ、脇役の人々のキャラの豊かさ

などは やはり原作を読まなければ分からなかったかもしれません。

特に、ピ テ ィ パ ッ ト 叔 母 さ ん は 秀逸ですから ww

実際に、M・ミッチェルの周囲にこんな 老嬢がいたのでは?と思わせたくらい。



また、当時の社会状況や 敗戦後、北部の人々によって支配される南部の地で

うまく立ち回っていけた人々、適応できなかった人々のことなども

興味深かったし。



それから・・・活字を読んでいる間も、頭の中に思い浮かぶイメージは

やはり、ヴィヴィアン・リーやクラーク・ゲーブルでした ww



原作と映画で どちらが魅力的かとは よく話題になるけれど

どちらも素晴らしいといえる作品は やはり この『 風と共に〜 』くらいではないかしら?


映画については、私がDVDで持っているのはワーナーのスペシャル

エディション4枚組みのもの。

テクニカラーの 修復技術は素晴らしく、廉価版で持っていたDVDとは

比べ物にならない程でした。


5時間以上もの 特典映像は非常に興味深く、この映画の 製作過程や

ヒロイン選定までの 経緯も見ごたえがありましたから。


メラニーを演じたオリヴィア・デ・ハヴィランドが、 真っ白な髪の

ふくよかで上品な老婦人になっていましたが、撮影中のエピソードを

語ってくれた映像もあり、これは嬉しい特典でしたね。



ところで・・・ふと思ったのですが、今のハリウッドの技術であれば

この『 風と共に〜 』の リ メ イ ク 版はたやすく出来るはずなのに

誰も撮影しようとはしませんよね?   多分・・・不可能だからだと思うな。



これ以上の映画は・・・これ以上の『 風と共に去りぬ 』の映画は・・・

どんな監督が どれ程のお金をかけても 無理なような気がする。


例えば・・・オードリー・ヘップバーンの『 ローマの休日 』なども

そうでしょう?  どんな名監督であろうとも 他のどんな女優さんが

演じても 最 初 の 映 画 を 越 え る こ と は で き な い ような・・・



本当に優れた映画って、そんなものじゃないかしら?

“ 天の時、地の利、人の和 ”を見事に 結実させた映画は 貴重な 知的財産だと思う。



今ではすべて夢 人の心にのみ残る


風と共に去った 時代である



さて、3回分 お話してしまったけれど・・・まだまだお話したい事も

あるのだけれど・・・そろそろ これで終わりにしましょうね。


今日は、これでおしまい。

では、また・・・・・



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「 南北戦争終結の日 」に読む『 風と共に去りぬ 』 その2 by M・ミッチェル


こんにちは、また来て下さってありがとう。


昨日に引き続き4月9日がテーマです。( 昨日の前書きは長かったね・・・実は今日も・・)


引き続き、今日の 読書は 『 風 と 共 に 去 り ぬ 』 著者:マーガレット・ミッチエル

新潮文庫  集英社文庫ほか


著者はマーガレット・ミッチェル(1900〜1949)


「 ある朝、目覚めたら有名になっていた 」と述懐したのは 19世紀の

ロマン派の詩人、バイロン卿・・・


20世紀の M・ミッチェルは たった一冊の 著作を世に送り出して、

バイロン卿もかくや、とばかりの時代の 寵児になってしまいました。

その時、彼女は 36歳。


既にかなりの発達を遂げていたマス・メディアの力は、彼女を有名にして

多くの読者と名誉を与えました。そして、ある意味では・・・


彼女の 平穏な生活を奪ってしまったのかもしれません



さて、M・ミッチェルがこの作品を書き始めたのは 26歳のとき。

くるぶしを痛めて治療・療養中で 松葉杖を使っていましたが、自由に

身動きできない彼女のために、夫のジョンは 図書館から本を一杯借りて

きてくれました。優しいダンナ様ですね。



夫のジョン・マーシュは二度目の御主人ですが、

最初の夫であるベリアン・K・アップショウ( 通称 レ ッ ド )の友人でもありました。



レッド・アップショウと知り合ったのは、マーガレットが社交界に

デビューして間もない頃、アトランタの仮装パーティで・・・


レッドはノースカロライナの名家の生まれですが、士官学校を 放校処分

された 問題児
でもありました。

また 生家の財は 密 輸 業 から得られた ものといわれています。



情熱的な 求愛期間を経て、1922年に結婚。

しかし、この結婚は当初から上手くいかなかったようで、経済的な理由や

レッドの暴力にも苦しめられる事も多かったとか・・・・・

そしてレッドは、その年の内にノースカロライナで仕事が見つかったと

言って 冷ややかに家を出て行ってしまいました。




うーん・・・このシチュエーションは 何処かで聞いた事があるような・・?




傷心のをマーガレット励まし慰めたのが二番目の夫になるジョン・マーシュです。

レッドのような危なっかしい男とは違い、穏健で 思慮深い男性であり

彼女を支えてくれました。


彼の協力もあり、マーガレットはアトランタ・ジャーナル・サンディ・マガジン誌の

仕事を得ることができました。

彼女が職業に付いたのは後にも先にも この時だけ。

もっぱら軽い感じの記事を書いていたようですが、たちまち雑誌のトップ記者に。



その後、1923年に突然帰ってきたレッドとの間にトラブルがあり

入院するほどの暴力を受け、1924年に離婚。



ずっと見守ってきてくれたジョン・マーシュと 結婚したのは1925年の事でした。



さて、夫のジョンは 図書館の本を読むのも良いけど、せっかくだから

何か書いてみたら?と妻に勧めます。

( この時にはもう 記者の仕事は辞めていました )


南北戦争を 舞台に選んで書いたのは、わたしがそれを 糧にして育ったからです。

子どものころ、ヴァージニア州やジョージア州でおこなわれた 戦闘の話や、

シャーマン将軍の 部隊が迫ってくるときの恐怖、北軍の到着、火災に

略奪の話、メイコンに向かう列車や道路に避難民があふれかえっていた

というような話を何時間も聞いては、日曜日の午後を過ごしたものです。


(中略)

たったひとつ きかなかったのは、南部がこの戦争で敗北したということだけです。

10歳のときに、リー将軍が敗れたことを知って、ひどくショックでした。

それがすべて、わたしの生まれるほんの少し前に起きた出来事だと思うと

感無量でした。


( 新潮社『 風と共に去りぬ 写真集 』より 一部抜粋  高橋良平訳 )



そう・・・・・マーガレットが生きた時代では、

南北戦争はまだ“ 歴 史 的 事 実 ”になる程古びてはいませんでした。

戦争を 体験した方々が まだまだ生存しておられた時期でしたから、

何か 物語を書こうとしたら、自然に浮かんだモチーフであったと思われます。



しかし、最終的な完成までには 約10年の歳月がかかりました。


最 終 章 か ら 書 き 始 め 、残りの章はランダムに書き進めていった

ようですが、最初の章は 最後まで書かなかったようです。



ヒロインの名前は パ ン ジ ー ・ オ ハ ラ ・・・・・ えっ ?
 

1929年には 3章分を除いて ほぼ物語は完成していましたが まだこの段階では

題 名 も つ け て い ま せ ん でした。


さらに3年後、引っ越しを機会に、物語を 修正したりキャラの肉付けをしたり・・・

もう、この時点で 物語は完成していたのでしょうか?



そうして 1935年。 “ そ の 日 ”がやって来ました。



マーガレットはマクシミラン社の 副社長に紹介され、

何か手持ちの原稿が 有るならば・・と打診されます。

この副社長はニューーヨークにいる 或る編集部員からマーガレットが

小説を書いている事を聞いていましたから。


初めの内は丁重に断っていたのですが、副社長・レイサムの言葉が

マーガレットの心を動かします。


すなわち 南部の事を 誰一人きちんと知らないのは、

南部の事を 過不足無く 描く 南部作家が出てきてくれないからだ
、と。



運命の変わる瞬間でした。



マーガレットは夫の賛同も得て、原稿をレイサム副社長に渡します。



はいはい、それから後は・・・・ジェット・コースター状態ですよ。



あっという間に 契約成立、マーガレットは原稿を推敲し

歴史上の資料を 捜し 実在の地名や人名を修正して・・・

主人公の名前をパンジーから ス カ ー レ ッ ト に変更したのもこの時です。



そして 題 名 は・・・・・



考えれば考えるほど、「 風と共に去りぬ 」という題名に 気持ちが傾いています。

(中略)

うつろう時の流れも表現できます。戦争という風の中で消えていくものを

表わしてもいますし、風に逆らって たたずむのではなく、風に吹かれて

消えていく人々のことも表現されます。

どう思われますか?


( 新潮社『 風と共に去りぬ 写真集 』より 一部抜粋  高橋良平訳 )



どう思われますかって・・・これしかないでしょ!!



( 注:風と共に去りぬ " Gone with the Wind " というフレーズは


アーネスト・ドースン(1867〜1900)の恋愛詩『 シエラ 』より採られたものです)



そうして・・・世紀の大ベストセラー『 風 と 共 に 去 り ぬ 』 が 誕 生 しました。

当初、マーガレットは “ 南部のご当地もの ”として 5000部ほど 売れれば

良いかと思っていたそうですが・・・



店頭に並んだのが 1936年の5月5日。
 

その2ヵ月後には“ 有名人 ”としての苦しみ を味合わされる事になります。



・・・・・気分が悪くなって、氷嚢を頭にのせてベッドに横になり、

三十分おきにアスピリンを飲む・・・


( 新潮社『 風と共に去りぬ 写真集 』より 一部抜粋  高橋良平訳 )



プライバシーへの配慮も、現在とはかなり違っていたでしょうし、

ごく普通の平凡な(でも幸福な)主婦だった頃の 平穏な生活には二度と

戻れなかったようですね・・・・・1949年に 事 故 で 亡 く な る ま で は。



M・ミッチェルが 生涯に発表した作品は『 風と共に去りぬ 』1作のみ。

どれ程勧められても、二度と小説を書くことはありませんでした。



M・ミッチェルが夫のジョンと共に眠っているのは アトランタの オークランド墓地。

墓碑銘は「アトランタに生まれ、アトランタに死す」であると昔聞いた事がありますが

実際に刻まれているのは


“ BORN ATLANTA GA NOV 8 1900 “ “DIED ATLANTA GA AUG 16 1949 ”


だそうです。  墓碑銘としては平凡なものじゃないかしら?



そうして、それこそが、彼女が心から望んだことではないかとも思うなぁ。

墓碑銘にまで『 風と共に〜 』の著者であると 刻まれたら・・・・

永遠に休息できないような・・・気がするのだけれど?



でも、彼女が生涯をかけた一冊の本は

間違いなく これからも読み継がれていくよ、きっと。

あなたも そう思うのではないかしら?



さてと・・・・・今日も前置きで終わってしまっってゴメンナサイ。

では、また・・・あと 1回で終わりにしますから ( 冷汗 )



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「南北戦争終結の日」に読む『 風と共に去りぬ 』 その1 by M・ミッチェル


こんにちは、また来て下さってありがとう。


4月9日は「 南北戦争終結の日 」になります。 1865年 4月 9日ですね。

南 北 戦 争 ・・・誰しもが 最初に思うのが この作品じゃないかなあ・・・


はい 今日の読書は 『 風 と 共 に 去 り ぬ 』 著者:マーガレット・ミッチエル

新潮文庫  集英社文庫ほか



『 風と共に去りぬ 』はアメリカや 日本のみならず 世界中でも知られた

大ベストセラーですよね。


出版が1936年、翌年にはピューリッツア賞を受賞という 快挙を成し遂げ

おまけに 1939年公開の 映 画 『 風と共に去りぬ 』も

素晴らしく出来の良い作品で大ヒット!


この『 風と共に〜 』を どんな風にお話しようかなあ と考えたのだけど・・

1日分ではお話しきれないような・・・?

だって、映画の事も一緒にお話ししたいのですもの。



大体が いつもダラダラと長過ぎるきらいがあるのですが WW 

今回この作品については 何度かに分けてアップする事にしました。

映画も「 前編 」と「 後編 」とに分けてあった位だからね ww



なので、今日は “ その 1 ” ということで、作品の 時代背景事情 などを

少々・・・まあ、ほんの 前書き程度なんですけれど。


ただ この作品の場合は 時代背景事情をある程度は知っておいた方が

より楽しめると思うの。

だって、普通はアメリカ史なんて習わないし 特に考える必要もないもの。


なので・・・・・ 南 北 戦 争 です。


“ 南 北 戦 争 ”といえば日本の誰でもが “ ア メ リ カ の 北 部 VS 南 部 の 戦 い ”

とイメージする程知られています。


“ 独立戦争 ”よりは 遥かに認知度が高いよね。

おそらくは、この『 風と共に〜 』の影響が大きいと思うの。


アメリカの 南北戦争は ごく簡単に説明してしまうと

奴 隷 制 大 農 場 を基盤とする南部諸州 VS 商 工 業 が盛んな北部諸州との対立でした。


戦争が始まったのは1861年ですが、

これをちょっと日本の歴史と対照させてみませんか? (えっ?)


1853年 ペリーが浦賀に来航

1854年 江戸幕府と日米和親条約
1856年 ハリスは将軍家定に謁見
1858年 日米修好通商条約
1860年 安政の大獄・桜田門外の変

1861年 公武合体・和宮降嫁           ◆ 南 北 戦 争 勃 発 ◆

1862年 寺田屋事件・生麦事件            奴 隷 解 放 宣 言 発 布

1863年 薩英戦争

1865年 英仏蘭連合より神戸港開港要求    ◆ 南 北 戦 争 終 結 ◆

1866年 薩長同盟締結 

1868年 大 政 奉 還


まあ、こんな感じですね、丁度 日 本 の 幕 末 期 に当る時期でした。

どうでもいい事なんだけど、日本でいえば この時代のアメリカの物語なのね。


南北戦争が勃発した 1861年、幕府からハリスに対して 軍艦2隻の発注を

依頼しましたが これは受けてもらえませんでした。

自分ちの戦争で それどころではなかったのでしょうか ww


また、有名なリンカーン大統領の「 奴 隷 解 放 宣 言 」ですが、

戦争中に発布されていたとは 私は最近まで知りませんでした。

何となく・・・・戦争終結後に出されていたと思っていたのです。


有名なストウ夫人の『 アンクル・トムの小屋 』 が発表されたのは

1852年で 南北戦争の9年前になります。この作品が世論(特に北部の)

を高めて 奴隷解放運動の 推進力になったのは確かでしょう。


日本では、リンカーン大統領が奴隷を解放した人として評価が高いけれど

実際のところは、政治的な意図の方が大きかったようです

戦闘開始当初は 南軍の方が優勢でしたが、これ以降は 北軍が圧倒的に

有利になりました


また、海外からの協力も得やすい状況にもなりました。


ただ・・産業革命以来、資本主義を推進して工業化の進んだ北部と

プランテーション経営が中心の南部とでは いざ戦争となった場合には

武器ひとつ比べてもどちらが有利かは 現代人なら だいたい見当がつきますよね



『 風と〜 』のシーンでも、園遊会のときレット・バトラーが戦争の意見を

求められて 北部諸州の装備は我々よりも遥かに上である、兵器工場も

造船所も 港を封鎖できる艦隊も持っている。それに比べると 南部にあるのは

綿と奴隷と傲慢だ と言い放って顰蹙 を買うシーン
を思い出します。



結果は・・・あなたが 御存知の通りでしたから。



いかに南部の人々が勇敢な“ 南 部 魂 ”を持っていようとも・・・

北部の 圧倒的な人員と 近代的な武器には勝てなかったんだよ。


この辺りを考えると・・・太平洋戦争で 負 け た 日 本 の 姿 を思い出します。


だからこそ、戦後(1952年)紹介された 映画が 圧倒的な共感をもって

迎えられ支持されたのだと思うけどなぁ・・・・・


(ちなみに小説の翻訳そのものは戦前に紹介されていますが

あまり話題にはならなかったようでした?)



あと、もうひとつだけ、ね。


南北戦争を背景にした アメリカの有名な小説がもう1つあります。


はい、あなたもよく御存知の『 若 草 物 語 』です。3月18日に取り上げたっけな。

こちらは 北部の 中産階級の家族 が主役になっています。

(年代は特定されていませんが、戦争が始まって しばらくたってからだと思う)

銃後の暮らしという事で、クリスマスプレゼントも 無しにしようと始まる物語でした。


さあ、この2つの物語が 同時並行で進んでいたと考えると・・・・・・


戦争前は 南部の地主階級の暮しが いかに豪奢な貴族的なものであったか

そうして、戦争が終わってから いかに困窮していたかが・・・・・

よりハッキリするのではないかしら?


さてと・・・今日のところは一旦これでお終いにしますね。

ほんの前書きで終わってしまってゴメンナサイ。

では、また・・・




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