2013年04月13日

「 決闘の日 」に読む 『 幸 福 の 王 子 』 by オスカー・ワイルド



こんにちは、また来て下さってありがとう。


4月13日は「決闘の日」・・・。


宮本武蔵と佐々木小次郎が、巌流島で決闘をした日だからそうですが・・。


で、なぜに 『幸福の王子』かというと・・・武蔵は二刀流で 小次郎といえば・・・

つばめ返し?・・・つ ば め ・・・ツバメ・・・『 幸福の王子 』だあ〜〜!

・・という実は苦しい理由なんですわ ww



はい 今日の読書は 『 幸福の王子 』  著者:オスカー・ワイルド

出版元:バジリコ  訳者: 曽野 綾子  画: 建石修志



著者は オスカー・ワイルド(1854〜1900)。 あなたも御存知のように

あまりにも著名な英国・ヴィクトリア朝の詩人・劇作家・小説家・・・

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(引用元:Wikipedia  作品のイメージと 本人の容姿がこれほど一致する作家も珍しい ww )


アイルランドのダブリン出身で、父親は後にヴィクトリア女王の専属医を

務めた程 高名な耳目外科医であり、母親は社交界の花形でもある詩人でした。

非常に裕福で知的な恵まれた家庭に生れ育っています。


その後、貴族の子弟が殆どを占める超エリート校・オックスフォード大学へ。

ロマンティックな古典的衣裳が似合う 長髪の美青年は在学中から

英国社交界の有名人に。卒業後はアメリカ講演やパリへの滞在、

そして結婚して2児をもうけます。



『 幸福の王子 』はワイルドが34歳の時に出版され、

自分の子ども達にも 読み聞かせていたそうです


『 サ ロ メ』『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 などドラマティックな悲劇作品

『 ウ ィ ン ダ ミ ア 夫 人 の 扇 』『 真 面 目 が 肝 要 』などのロマンティック・コメディ等で

人気を博したものの、同性愛の罪により投獄・・・

『 獄 中 記 』は愛人の青年ロバート・ロスにより 死後出版されました。


出獄後は 世間に受け入れられずに失意のままに46歳で死亡・・・


芸術至上主義をそのまま 実践したドラマティックな人生を歩んだ人物であり、

作品のみならず、その生きざまは 後世の人々に大きな 影響を与えました



『幸福の王子』を初めて読んだのは小学生のときでしたが、丁度同じ頃に

読んだ 新美南吉の『 ご ん ぎ つ ね 』と対をなすようなイメージで

読んでいた記憶があります。 いや、内容は全く違うんですけどね ww


ただ、子ども心には “ 良い事をしたのに、理解されずに死んでしまう

という点で同じように思えたんですよ。


その後、『 サロメ 』や『 ドリアン・グレイの肖像 』を読んだのですが、

こういった 退廃的な美しさをたたえた作品と『 幸福の王子 』との間には

大きなギャップが有る様な気がしてなりませんでした。




今回 改めて読み直してみたのは 曽 野 綾 子 氏 の 新 訳 のもの。

パール・ホワイトベージュ地に 繊細なイラストが美しい本でした。


この年になって読むと、キリスト教(カトリック)の 愛をベースにして書かれた作品

である事に気がつきます。



“ 幸福の王子 ”の像は、自分自身の剣のルビーも両目のサファイアも

全身を覆う金箔のすべてを貧しい人々に与えてしまいます。


運ぶように頼まれたツバメは、早く南国のエジプトに行きたいと自分の

都合も考えたり「そこまでしなくとも・・・」と王子を諌めたりもしながらも

王子の善意に心を打たれ、病気の子どもや貧乏な劇作家、

マッチ売りの少女たちに運び続けます。




それからつばめは「幸福の王子」の所に飛び帰って、

自分のしたことを報告して、

「不思議なことに、こんなに寒いのに、温かい感じがするんですよ」

と言った。

「それは君が、いいことをしたからだよ」

と王子は言い、小さなつばめはもの思いにふけりながら眠り込んでしまった。


(一部抜粋)



自分の持っている美しいものを全て他の人々に分ち与えた王子は

すっかりとみすぼらしい姿になってしまいました。


そうして、王子に心を打たれたつばめは冬になっても 王子の傍を離れず

ある寒い朝、ついに凍え死にしてしまいます。



まさにその時、王子の像の中で 鉛の心臓が真っ二つに割れてしまいます。

極度に下がった気温のためか、それとも・・・・・・


やがて、王子の像もつばめの死骸もみすぼらしく美しくないモノとして

処分されますが、溶かされた王子の像の中の 鉛 の 心 臓 だけはどうしても

溶けないので、そのままゴミ箱へ・・・そこにはツバメの死骸も・・・。




神が天使の一人に言った。

「この町で、一番尊いものを二つ持ってきなさい」

すると、天使は神の所へ、割れた心臓と つばめの死骸を持ってきた。


(一部抜粋)



まさしく 愛 と 究 極 の 自 己 犠 牲 の 物 語 なのですが・・・


19世紀末の 退廃的なデカダンス文化を 象徴するような作品を書いていた

オスカー・ワイルドではありますが・・・

『 幸福の王子 』は 信仰心が無ければ とうてい書けない作品としか思えません。


ベースに、こういったキリスト教への強い帰依があった上での“ 芸術至上主義 ”

あるいは 美学のような“ 背徳 ”だったのでしょうか?


訳者の曽野綾子氏がクリスチャンである事はあなたも御存知だと思いますが

この作品の後書きで、こう語っておられます。



平和や愛とは、そのために自分の持ち物や財産をどれだけ差し出し、

自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認することだ、

ということを悟るはずである
。(中略)


私たちは現代の生活でしきりに 同感や連帯を口にするが、現実に命を捧げる

ということまではほとんどしない。考えもしない。

幸福の王子とつばめはその愛の本来の厳しい姿を完成した。



誰にも知られず、誰にも 感謝されずにであった。(中略)

天使は、命をかけた愛とその真の意味での同情者を選んだ。

(一部抜粋)


私自身は、“ 愛 ”という言葉からは甘く優しい穏やかなものをイメージするですが

曽野氏は、ここで「 愛 の 本 来 の 厳 し い 姿 」と書いておられます。


まさにそれこそが、キリスト教(カトリック)の愛なのかもしれません。

クリスチャンである 曽野氏だからこその発言だと思うな・・・


この後書きだけ読んだら、何だかお説教臭く感じられるかもしれませんが

『 幸福の王子 』を読んだあとになら、とても素直な気持ちで読める文章でした。



この先も、キリスト教をテーマにした作品のこともお話できるかもしれませんが


今日は、この辺でお終いにしましょうね。

それでは、また・・・・・





posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 海外の小説・その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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