2013年04月19日

「 地図の日 」に読む 『 四千万歩の男 』 その2  by 井上ひさし


こんにちは、また来て下さってありがとう。


本日も、昨日に引き続き「地図の日」&『 四千万歩の男 』 そ の 2 です。



はい 今日の読書は 『 四千万歩の男 』 その2  著者:井上ひさし

講談社  講談社文庫



昨日は 著者の井上ひさし氏のお話をしましたので、今日はこの物語の主人公、

伊能忠敬の事から・・・



伊能忠敬(1745〜1818)江戸時代後期の 測量学者です。

千葉県九十九里町に生まれ、18歳の時に酒造家の伊能家に 婿養子に入りました。

本業以外にも江戸に薪問屋を設けたり、米穀取引の仲買に商才を発揮。

約10年で衰えかけた家業を立て直し、隠居した時には資産が20数倍も

増えていたというから・・・有 能 な 実 業 家 であったわけですね。

( ちなみに、現代の貨幣価値に直すと約70億の資産になるそうです )



天明の大飢饉では 私財を投げ打って地域の人々を救い、幕府より名字帯刀を

許されます。だから 肖像画では刀をさした武士スタイルなのね。


そうして50歳を迎えたとき、家業を長男に譲り自分は隠居。

幼い時より興味を持っていた天文学を学ぶ為に江戸に出て、当時の

天文学( 星学暦学 )第一人者である 高橋至時に師事。この先生のお給料は幕府から

出ていたのですが 安月給で生活は非常に苦しい。で、伊能が生活費を援助したわけ。

その代わりに教えてもらったのね。



ここから、伊能の人生の第2ステージが始まります。



伊能自身はこれを「 一 身 に し て 二 生 を 経 (ふ) る 」と語っています。

つまり、一人で 二つの人生を生きたという意味でしょうか。

井上ひさし氏は、「 人 生 二 山 説 」とネーミングされましたが・・・




ひょっとしたら、この点でトロイアの遺跡発掘に成功した シ ュ リ ー マ ン

思い出す方もいるかもしれませんね。 彼も実業の世界で大成功を収めて

巨万の富を得て、そのお金を 発掘事業につぎ込んで成功した人物です。

その時、5 1 歳 位だったかな? 


今では、クリミア戦争での 武器輸出業でぼろ儲けをした「死の商人」であるとか、

単なる売名の為に 発掘にお金を出しただけとも言われていますが・・・


或る意味では、それも事実ではありますが、全てではないと思うな。

単なる「売名」ならば、もっと楽で確かな方法が幾らでもあったはず。


シビアな実業家であったシュリーマンが、単なる売名の為になら遺跡発掘みたいな

雲をつかむような話に乗るとは思えないし、第一、成功する保障は何も無いのだから。

そう信じたくて・・・甘いかしらね?



伊能忠敬の場合も、自分の資産をこの測量につぎ込んだのは確かですが

彼の場合は、遺跡の発掘のように 有るのか無いのか分からない物を探していた

わけではありません。一歩一歩積み重ねて正確に実測していけば 必ずや地図が

出来上がる事は分かっていたのですから。


但し、膨大な 時 間 と お 金 が か か る のはシュリーマンの発掘と同じですが ww

幕府のお墨付きを貰った事業とはいえ、かなりの経費は伊能の持ち出しでした。



そうして、測量の旅にスタートしたのは 5 6歳 のとき。



以降 72歳までの17年間、「二歩で一間(約1.8m)」の歩幅で日本全国

の海岸線を歩きつくして 実測による日本地図を完成させます。


この間、彼が歩いた 距離は約 3 万 5 0 0 0 キ ロ ・・・歩幅に直せば約4000万歩。

この作品のタイトル『 四千万歩の男 』は、この数字に拠って付けられたものです。



物語は、伊能が 江戸の永代橋で 自分の歩幅から 距離を割り出して行く所から

始まります。 これだけの歩数を歩いたから、距離はこれだけ、と。


実際に 伊能忠敬の事は知っていても、具体的にどうやって測量したのかは

私は考えてもみなかったのですが、ベースになるのは自分の一歩の長さだったのですね

常に同じ歩幅でなければならない。 少し先の方に、犬のフンが落ちているけど

この歩幅で歩いていくと、多分そのフンを踏むであろう事も分かるのですが



だが、傍へよけることはできない。よけたのでは歩数がふえてしまう。

では、ぽんと飛び越えることは?それもできない。

「二歩で一間」という物指しをこっちから狂わせるようなものである。


(一部抜粋)


うーん・・・で、結局犬のフンを踏んでしまうのですけれどね ww

まあ、考えようによっては、バカじゃない?と思われるようなエピソードで

おそらく、これは井上氏の創作とも思われるのですが、それ位 徹底して

正確に歩幅を定めたけです。


そうでないと、あれ程正確な計測は出来ないはずなんですよね。

なので、似たような事は 実際に幾らでもあったと思うのです。


もちろん実際の計測は、当時の技術を全部使って、天文学的に

星と大地を照合させて作成されました。

しかし、ベースになるのは一歩一歩の歩みなのです。


だからこそ、あれ程の正確な地図が出来たわけですよね。 何度も言うけど ww

高大図伊豆014.jpgIno_Tadataka_stamp.jpg


↑ 伊能忠敬作成の地図です。切手にもなっているのね ↑

( 地図画像引用元:伊能忠敬記念館 )


ちなみに、伊能の作成した地図は徳川家に仕舞われたまま明治維新を迎えました。

その後、英国の測量士達が来日して伊能の地図を見て、その正確さに

仰天して 自分達の測量する必要はないと帰ってしまったそうです ww




ただ、この『 四千万歩〜 』は歴史小説もしくは 伊能忠敬の伝記小説では

ないと思うの。いや、ジャンル的には歴史小説なのかもしれませんが・・


いつもの井上氏の作品と同じように、資料をしっかり読み込んだ 重厚かつ詳細に

書き込まれた作品ではあるのですが、正確に言えば、

「 虚 」 と 「 実 」 が 巧妙に 絡み合った小説作品といえば良いかしら?



もちろん、これは誉め言葉です。だからこそ、この作品は面白い ww


概ね、伊能の後半生を日記を元にして、正確にトレースしてあるのですが

( 測量の具体的な方法等も ) プラスアルファして、物語的な面白さを

創作してあるとでもいえばお分かりでしょうか?


嘘ではないのですが、虚ではある。


一例を挙げると、伊能忠敬と同時代人の有名な人物がぞろぞろと登場するのですが

間宮林蔵・太田南畝(蜀山人)・十返舎一九・葛飾北斎・芭蕉・二宮尊徳などなど


当時の文化人や高名な学者などが、次々と登場して伊能と語り合うのですが

史実ではない・・・しかし、日本全国を歩いている内に会っていても

不思議ではない、というスタンスで描かれているのです。



また、旅する間中あらゆるトラブルに出くわすのですが・・・

幕府の隠密と間違われて危険な目に会ったり、逆に歓待されたり ww

妖艶な美女が夜中に忍び込んできたり w


この辺りは、山 田 風 太 郎 的 な 手 法 のような感じもしたかな?


また、井上氏らしいと感じたのは、当時の幕府の 蝦夷政策をはっきりと

批判させていること。

ナマの井上氏の平和観がストレートに反映されていると感じさせた部分でもありました。



『 四千万歩〜 』は、とにかく長大な作品ですから 細かくお話するときりが無いけれど

改めて感じ入ったのは、人生を二回生きた伊能忠敬の 偉 大 な る 愚 直 さ 、かな?


この「愚直」というのは、井上氏が若い頃(NHKの放送作家時代)に

伊能忠敬を調べた時の感想だそうです。


その時には、偉大ではあるが愚直な作業、と思っていたのが 20数年後には

愚直でなければ、そんな大事業はできない・あらゆる大事業を支えて

きたのは、この愚直さなのだ
」という風に変わってきたとか・・・



これ、分かるような気がするなぁ・・・・・

「愚直」というのは、あらゆるものに惑わされない 強 靭 さ でもあるからね。

「スマートさ」の反対とも言えるかな? カッコいいものではないかも?

それでも、貫き通せば 途方も無い強さを 発揮できるのかもしれない



なんだか、「プロジェクトX」みたいなオチになりそうですねww



殆どの人は、愚直でもスマートでもない、ほどほどにバランスの取れた

生き方をするのだろうけれど・・・



『 四千万歩〜 』は長い長い作品なので 今回は全部読み直せなかったけれど

これを読むと、何故かやたらと歩きたくなるのですよ。


伊能忠敬までとはいわなくとも、バスの一停留所位は歩こうかしら、と ww

足も結構疲れるんですけどねー、トシだから w


さてさて、今日はこれでおしまい。これから歩いてお買物に行ってきまーす。

それでは、またね。


posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「 地図の日 」に読む 『 四千万歩の男 』 その1  by 井上ひさし


こんにちは、いつも来て下さってありがとう。


4月19日は「地図の日」・・・・・

伊能 忠敬が、1800(寛政12)年 蝦夷地の測量に出発した日で、

最 初 の 一 歩 の 日 」とも称されています。


伊能忠敬は 自分の足で歩いて全国各地を測量して、『 大日本沿海輿地全図 』

を完成させました。精度の高い、日 本 初 の 科 学 的 地 図 といえます。


伊能忠敬に関しては、解説的・学術的な書籍よりも・・・彼をモデルにした “ 小説 ” を・・・

念のために言っておきますが“ 歴 史 小 説 ”ではないからね。

伊能忠敬の 日誌に忠実な、それでいて上質なエンターティメント作品を・・・


はい 今日の 読書は 『 四千万歩の男 』 著者:井上ひさし

講談社  講談社文庫



著者は 井上ひさし氏(1934〜2010) この方、非常にユニークな作家なんですよね。

あなたも何作かはお読みになった事があるかもしれないし、大江健三郎氏と共に、

平和運動に携わる氏 としての記憶もお持ちかもしれません。


お亡くなりになられた時は75歳でしたが、もっと長生きして欲しかった!

と訃報を 聞いたときには残念に思った作家です。


今回は、作品だけではなく井上ひさし氏の事もお話したいので、長くなりそうな予感が・・・

なので、2回に分けてアップする事にしました。

まず、今日は井上ひさし氏の事を少々、ね。 氏の他の作品の事も少しと


そして、有名なエピソードである 右 翼 の 方 々 と の 電 話 の 攻 防 戦 もね ww




さて、井上ひさし氏は山形県生まれで、5歳の時に父と死別、その後に お母様の再婚相手から

かなりのDVを受けたようです。

( このDV経験が、氏の後の結婚生活にまで影響を与えたかどうかは、

  分かりません? けれども・・・)


15歳の時に岩手県に転居、しかし生活の苦しさから、仙台市にある

児童養護施設「光が丘天使園」に弟と入所。

高校もこの施設から通いました。この頃の思い出が『 青 葉 繁 れ る 』

という 半自伝小説に結実しています。



上智大学在学中から、ストリップ劇場の幕間で演じられる笑劇(コント)の

台本を書き、ラジオドラマの懸賞に応募して賞金を稼いでいました。


これがきっかけで放送作家の道が開けたのですが、氏の名前を高らしめたのは



「 ひ ょ っ こ り ひ ょ う た ん 島 」 & 「 ネ コ ジ ャ ラ 市 の 1 1 人 」 



NHKの人形劇ドラマですが、あなたは御存知かしら?

児童作家の山元護久氏と共同でシナリオを執筆しました。


「 ひょっこり〜 」は、火山の噴火が原因で 岬の陸地が千切れてしまい、

海に向かって走り出してしまいます。 それが「ひょうたん島」ね。


そんな漂流する島に取り残された人々・・・という舞台設定が秀逸でした。

遠足に来ていたサンデー先生と子供たちを始めとして、他のキャラクタ

も濃いメンバーばっかり!


そんなバラバラのキャラを持つ人々の暮らしぶりが面白かった記憶があります。

また、この 物語には「 親 」は一人も登場しません

井上氏も 山元氏も両親に頼ることの出来ない 子供時代を送っているので、

それが反映されているらしいのですが・・・



1969年(昭和44年)には演劇界にもデビュー、小説分野にも活動の場を広げて

1972年(昭和47年)『 手 鎖 心 中 』で直木賞を受賞。


小説・戯曲等、著作は多数あり、代表作は・・・迷うのですが、

1981年の 『 吉 里 吉 里 人 』 もしくは、この『 四 千 万 歩 の 男 』を挙げたいなあ。



『 吉里吉里人 』はストーリィの面白さもさることながら、

壮大な実験小説でもあります。 私自身はこの作品を「小説新潮」連載時から

リアルタイムで読んでいたのですが、一種の S F として非常に

楽しんで読んだ記憶があります。


新潮文庫で読めますが、上・中・下の3冊ある長編小説にもかかわらず

作品中の 時間経過は、たった 4 8 時 間 なんですよ ww


東北地方の、ある村が 日本国政府に愛想を尽かして、突然

『 吉里吉里国 』と名乗り 独立を宣言しますが、許されるはずは無いよね。

そんな、反発する政府と吉里吉里国との攻防を描いた物語・・・。



実は、今回の『 四千万歩の男 』も “ 時 間 経 過 ”という点がキィになった作品かも?



伊能忠敬は17年間かけて 自分の足で日本全国を歩きましたが、

この作品で取り上げているのは「 蝦 夷 編 」と「 伊 豆 編 」のみで

伊能忠敬の 全体の仕事の7分の1位なんですよね。 ラストが少々物足りない。


この事を井上氏は、別の著作でこう説明しておられます。


彼の一歩は無味乾燥な一歩である。(中略)

だがその一歩一歩が四千万回も繰り返されると、日本のすべての海岸線を

残らず踏破するという途方も無い大事業に結実する。
(中略)

その大事業が、実に退屈で、まことに辛い一歩一歩の積み重ねの上に

成っていることを描こうとして、彼の歩く速度に合わせた密着描写を

採用したのである
。 (中略)


忠敬の一年間を描くのに五年間も必要とするならば、忠敬は日本全土の

実測に十七年の歳月を投入したのだから、筆者はその後倍の八十五年の

年月をこの小説に費やさねばねらない。
(中略)

( 引用元:『 四千万歩の男 伊能忠敬の生き方 』 一部抜粋)


最後まで描こうと思ったら、8 5 年 か か る ってさ www



さて、井上ひさし氏で忘れてはならないことに、世界平和アピール七人委員会

に名を連ね、社会問題にも積極的に発言した点にあります。


時には ??な ヤバイ発言もあり、右翼の皆様方には お気に召さなかった点も

多々あったようで・・・



新右翼・民族派の論客として名を知られている 鈴 木 邦 男 氏が、かって

バリバリの現役右翼活動家であった頃、井上氏の自宅に 電話をかけた事があったそうです。


何のために電話を?  はいはい、も ち ろ ん 脅 迫 の た め ですよ www


鈴木氏は、この事を 御自身の著書の中でも書いておられるのですが

たまたま 天皇制についての井上氏の発言が納得できず、右翼仲間が井上氏宅

に電話をしたそうです。


ところが、最初は大きな声で怒鳴って話していても、段々声が小さくなり

黙りこんでしまい、自分の方から「今、忙しいから」と言って電話を

切ってしまうのですよ ww で、別の人間がまた 井上氏宅に電話するのですが、

やはり同じように 途中から黙り込んでしまい、同じように電話を切ってしまう・・・

だらしがない奴だ!とばかりに 鈴木氏が電話をしてみたら・・・



井上が出た。逃げない。「あっ、右翼の方ですか。毎日、運動ご苦労さんです」

と言う。拍子抜けした。そして、とんでもない事を言う。


「 私も天皇さんは好きですし、この国を愛しているつもりです。

その証拠に、歴代の天皇さんの名前も全部言えますし、教育勅語も暗誦してます。

右翼の人は当然、皆、言えますよね。あっ、ちょうどよかった。

今、言ってみますから、間違っていたら直してください。

どっちからやりましょうか。歴代の天皇さんの名前から言いましょうか。

えーと、神武、綏靖……」とやる。

黙って僕も電話を切った。


(引用元:『鈴木邦男の愛国問答』一部抜粋)



・・・脅迫電話をかけたら、相手から 「 ご苦労さんです 」 と言われるなんて ww



で、今度は井上氏ではなく、奥様を脅かせば効果があるのでは?と思ったのですが

やはり同じ事だったみたいで・・・・・



「あっ、右翼の方ですね。毎日、運動ご苦労さんです」と言う。 調子が狂う。

「今の世の中で自分の思想を訴え、貫くなんて大変ですよね。立派ですよね」

と言う。「だから私、前からとても興味を持ってたんです。 一日中、街宣車で

走ってるんですか。それで、朝は何時頃、起きるんですか。

朝食は何を食べるんですか。パンや牛乳は 毛唐のものだから

絶対に食べないんですよね」……と、矢継ぎ早に質問する。参った。

「ウルセー、今、忙しいんだ」と脅迫者の方から電話を切った。

次の男も質問攻めに辟易し、電話を切る。

「お前やれ」「やだよ」と、皆、逃げ回る。


でも、その後井上さんに会ったときは、いつも謝っている。

「脅迫事件」から10年位たった時だったかな。


「すみません。あの時の犯人は僕です。警察でもどこでも突き出して下さい」

と言った。「あっ、あの時のド……じゃなかった、右翼の人が鈴木さんでしたか」

と笑っていた。「そうです。あの時のドジな右翼が僕です」と謝罪した。

笑って許してくれた。


(引用元:『 鈴木邦男の 愛国問答 』一部抜粋)



鈴木氏はギャグっぽく書いていますが、実際は かなりシビアな応酬も

あったのではないかとも考えられますが・・・


ただ、何者にも屈することなく 自分自身の信念を貫く姿勢は、全く逆の

信条を持つ 鈴木氏にも伝わったのではないか
と思うのです。


そうした 自分の信念を貫いた 姿勢があればこそ、一歩一歩自分の足で歩いて

初の日本地図を作成した 伊能忠敬へのリスペクトが持てたのではないか、

と私は考えています。


さてさて、今日は本編には入れず井上ひさし氏のことだけでした。ごめんなさい。

それでは、またね・・・。

posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本の小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。