2013年04月29日

「 昭和の日 」に読む 『 向 田 邦 子 その美と暮らし 』 by ( 和 樂 ムック )


こんにちは、また来て下さってありがとう。


4月29日は「 昭和の日 」・・・以前は 昭和天皇の「 天皇誕生日 」でしたよね。

なので、崩御されてからは「昭和の日」。平成も、もう24年!本当にあっという間に もう24年かあ・・・と

思わず遠い目をしてしまったりして ww


で、「昭和の日」なんですが・・・迷いました。テーマとしては余りにも広過ぎるような?

なので、迷った末に「 昭和 」という時代の ほんの僅かな期間、流星のように輝いて

私たちの前から消えてしまい、今なお 語り継がれてファンの多い あの方の事を・・・・


はい 今日の 読書は 『 向 田 邦 子 その美と暮らし 』



    向田 邦子 その美と暮らし(和樂ムック)

    版元:小学館

    サイズ: ムック160ページ

    発売日2011年08月



今は亡き 向田邦子氏の思い出を、そのライフヒストリーと 愛用品、衣類や 道具等を

豊富な写真を交えて解説されています。


妹さんの 向田和子氏の 原稿も寄せられていてファンとしては 嬉しい一冊でした。

向田氏の死後も、関連本は 結構読んでいるのですが、初めて見る写真も多く

掲載されていましたから・・・


★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★

「ものは 値段など知らないほうがいいと思えてくる。・・・・・ただ自分が

好きかどうか、それが 身のまわりにあることで、毎日がたのしいかどうか、

本当は それでいいのだなあと思えてくる」 ( 「 眼があう 」より )

ふだんの暮らしに“ 自分のスタイル ”を取り入れる───作家・向田邦子

さんは、その先駆けでした。

★━━━━━━━━━━━━【 一部抜粋 】━━━━━━━━━━━━━━★


流行しているから・高価なブランド品だから・みんなが持っているから・・・

などの理由では決して選ばなかった人・・・確 固 た る 自 分 の 好 み と ス タ イ ル

持っていた人・・・妥協せず、ある意味では 頑固であったかもしれませんが

どこか白州正子氏と共通するものがあるようにも思えるのです。




私は 1981年( 昭 和 5 6 年 )8 月 22 日 の事を 今でもよく覚えています。

お盆は過ぎても、まだまだ蒸し暑かったあの日のことを。



その頃はまだ 実家住まいで、夕方に買い物から戻ってきたとき・・・

玄関先で、ただいまー、ふう暑かったぁーと、声をかけた私に 気づいた姪が

奥からドタドタと駆け寄ってきて、第一声が( おかえりなさい、ではなく )


「 大変、大変! お祖父ちゃんと **ちゃん( 私のこと )が好きな人・・・

ナントカ・クニコさんが死んじゃったって! 飛行機が落ちたって! 」



えっ? 一瞬 彼女が何を言っているか、よく分からなかったのですが、

着替えもそこそこにリビングに行くと、テレビを見ていた父が 私に教えてくれました。


作家の 向田邦子さんが 旅行先の台湾で 航空機事故に遭い、生死はほぼ絶望

と見られている・・・ボーイング機が突然、空中分解して山間部に墜落したので、

生存者がいるとは到底考えられないようだ、と。



驚きました。しかし、乗客名簿に載っていても、( K・ムコウダという氏名が

確認されています )本当に本人が乗っていたかどうかは分からないし、

ひょっとしたら、ひょっとしたら・・何かの間違いではないのか?と祈る

ような気持ちで、その後のニュースに気をつけていたのですが・・・



詳細が報道されたのは夜のニュースではなかったでしょうか?

ショックでした。月並みな表現ではありますが、ショックだとしか言いようのない

気持ちでした。



父親も向田氏の作品を好んでいたので、二人でお互いに顔を見交わせて

残念だ・・・まだ若いのに・・・まだまだ、これからも書ける人だったのに、と

お互いに愚痴りあったものです。



ショック!の後に私に襲い掛かってきた感情は「 も っ た い な い !」でした。

これ、よく考えると変ですよね? 好きな作家が亡くなってしまった時の

気持ちが「もったいない!」なんて・・・



けれども・・・何 か 貴 重 な も の が 無 残 な 形 で 失 わ れ て し ま っ た

もう二度と 手に入らない貴重なものが・・・と思ったら、気持ち的には やはり

「 もったいない 」としか言いようのないものでした。 不謹慎でしょうか?



事故発生から、御遺体の 確認については、向田氏の弟さんである 向田保雄氏の

『 姉 貴 の 尻 尾 』 に詳しく 保雄氏の心境と共に語られていました。


遺体確認の際に、「 おでこが光っていたので、あれが姉であろうと感じた 」

という一文があり、ああ、これこそ血を分けた姉弟ならばこそだな、と

感じた記憶があります。



向田氏が亡くなってから、もう30年以上たちました。



ドラマの脚本家としてのキャリアはあっても、作家としての 専業期間?

といえるものは、ほんの数年・・・


ドラマの脚本家としては、1964年の「 七人の孫 」を始めとして、「 時間ですよ

寺内貫太郎一家 」や「 冬の運動会 」「 阿修羅のごとく 」「 あ・うん 」「 隣の女 」・・・

あなたも 御覧になったことがある番組もあるのではないかしら?



その後、1978年の『 父 の 詫 び 状 』 でエッセイストとして認められ、1980年に

『 思 い 出 ト ラ ン プ 』で第83回 直木賞を受賞・・・初候補、そして50歳での受賞でした。



当時の 選考委員の評では、初候補だし、実力の有るのは分かるが、もう少し

様子を見てから 次回に受賞を・・という意見もあったようですが、選考委員の

山口瞳氏が「 向田邦子はもう50歳なんだから 」と強力にプッシュしての

受賞だった事が 記憶にあります。



突 然 現 れ て 、 ほ と ん ど 名 人



山本夏彦氏でしたでしょうか?  この名文句は・・・・・


『 父の詫び状 』を読んでの感想らしいのですが、まさしく 向田氏の技量を

的確に言い表しています。



没後も 関連書籍やムック、雑誌の特集等でも 何度も取り上げられた方だった・・・

その理由の1つとして挙げられるのは・・・周囲の人に好かれていたから?



ドラマの人気脚本家、という面で人脈は多かったであろうと思いますが、

それでも亡くなってしまえば、それで終わり・・で、忘れ去られてしまう

作家も多いというのに・・・



もう、向田氏の「新作」は決して望めないのですが、それでもこうした

関連本を見つけると、つい買ってしまい、折に触れてはエッセイ等も

読み直す日々です。



向田氏については、また改めて個々の作品等もお話する機会があると思うので

今日は、この辺で・・・

またね。



posted by cat-of-many-tales at 00:00| Comment(0) | 日本のエッセイ&ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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