2013年04月16日

「 チャップリン 誕生の日 」に読む( 観る ) 『 独 裁 者 』 by チャップリン


こんにちは、いつも来て下さってありがとう。


4月16日は「チャップリン誕生の日」になります。


“ 世紀の喜劇王 ”、またロイドやキートンと共に“ 世界の三大喜劇王 ”

などと称えられていますが、チャップリンの場合は一切の 肩書き無しで

“ チャップリン ”だけで 通用する存在 ではないかと思えるくらい・・・



彼の自伝や 関連した本でも良かったけれど、やはり映画でなければ・・・ね。

私は活字中毒者ではあるけれども、映像で訴えかけるものを 読み取る意味でも

今日は特別に本ではなくチャップリンの 映 画 を・・・・・



モ ダ ン タ イ ム ズ 』や『 黄 金 狂 時 代 』も『 街 の 灯 』も素晴らしいけれど

最高傑作は・・・もうコレ!だよね?



はい 今日は( 敢えて読む、ではなく ) 『 独 裁 者 』 by チャップリン



チャールズ・チャップリン( 1889〜1977 )英国の俳優・映画監督・コメディアンで

脚本家であり 映画プロデューサーであり 且つまた 作曲家でもあるという

マルチな才能を備えた 稀に見る人物。


なぜか、自ら演じたヒットラーと 同年 同月生まれなんですが・・・



両親ともミュージックホールの歌手、いや、敢えて敬意をこめて寄席芸人と呼びたい!

チャップリン自身の初舞台?は母親ハンナの代役で5歳のとき。


その後、父は死亡、母は精神に異常を来たして施設に収容され 孤児院や救貧院で育ちます。

あらゆる職業に就きながらミュージックホールで パ ン ト マ イ ム 劇で人気者に。

14歳の時にはもう地方巡業に出ていました。その後は名門劇団に所属、



21歳でアメリカ巡業へ。24歳2回目のアメリカ巡業で映画プロデューサに

高く評価され、以降はアメリカが活動の場になり、チャップリンの映画人生は

この時からスタートしたといえるでしょう




自身のトレードマークとなる「 山 高 帽ス テ ッ キ 、だぶだぶズボンに

ド タ 靴チ ョ ビ ひ げ を生やしてペンギン歩き」のお馴染みチャップリンを

確立させてからは人気者に・・・

chaplin-20dai.gif

← おお!まさに “ 憂愁の美青年 ” ではありませんか!

これがチャップリンの 素顔なんだよね・・・

喜劇ではなくシリアスな恋愛物でも通用する容姿だと

思うのですが、仮に 二枚目路線を歩んだとしても

単純な二枚目役には

納まらなかったと思いますが ww

   ( 写真引用元:22 words  Charlie Chaplin out of character )





そうして、初期のコミカルなドタバタ劇から、段々 ヒ ュ ー マ ン な 作 家 性

を打ち出すようになります。以降の活躍についてはまた改めてお話する

機会もあるでしょうね。



さて、『 独裁者 』(1940年)ですが・・・・・チャップリン初の ト ー キ ー

ユダヤ人の床屋と 独裁者・ヒンケルとの 一 人 二 役 を演じています。


ヨーロッパで 第二次世界大戦の火の手が上がった翌年の作品で、この頃は

まだアメリカにとっては戦争は対岸の出来事・・・。


ナチスも白人至上主義・アンチ共産主義を取っていた事から、支持する

人も米国内では多かったのですよ。

( しかも、当時のハリウッドではユダヤ人に関する事はタブーでした! )



そんな時代状況の中で、あからさまにヒットラーと分かる人物をモデル

にして( それも思い切りギャグ化して! )自分の言葉で批判する事がで

きたのはチャップリンだけ・・・


あと出しジャンケンのように、終戦後にヒトラーを告発する映画を撮った

のではなく、1940年 ナ チ ス の 力 が 圧 倒 的 に 強 い 時 期 に 、敢えてこの作品を

発表したのは、当時ヨーロッパに台頭していたファシズムへの危機感が

あったからでしょうか?




さて、物語は1918年の世界大戦(第一次)・塹壕戦からスタートします。

こういう戦闘シーン(いや、一応シビアな場面のはずなんですが)でさえ

思わず笑えてしまうのがすごい・・・


主人公はトメニア軍に属するユダヤ人の床屋です。空軍将校のシュルツを

助けて逃げ帰るものの、飛行機が燃料切れで墜落して記憶喪失に・・・



ここまでに、現代のギャグやお笑いのエッセンスが全て入っている事に

改めて驚かされます。

元祖お笑いの 教科書的な存在だったのでしょうね。



さて、床屋が記憶喪失で入院している間に、トメニアでは政変が起き

ヒンケルが独裁者として君臨、自由と民主主義を徹底して否定して

ユダヤ人を迫害します。


ヒンケルの演説が、英語を無理やりドイツ語っぽくした でたらめドイツ語なのですが

今でも充分におかしく、笑えるのには我ながら驚きました。

280px-Dictator_charlie.dokusaisha1.jpg


その後、床屋は記憶喪失の状態のまま病院を抜け出して、古巣のユダヤ人街に

戻ってきたものの・・・・・



この映画の圧巻は、偶然独裁者のヒンケルと顔が似ていたために、また

シュルツと一緒にいたことから間違われて 独裁者と入れ替わってしまった

床屋のチャーリーの ラ ス ト の 演 説 部分でしょう。

広場に集まった大群衆と軍隊を前にして、ヒューマニズムの極致ともいえる演説をして

物語はラストを迎えます。



申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。それは私のやりたいことではない。

誰に対しても支配や征服などしたくない。ただ、できれば皆を助けたいのだ。

ユダヤ人にしろ、キリスト教徒にしろ、黒人にしろ、白人にしろ、皆を。


(一部抜粋)


富を生み出すはずの機械が、私たちをどんどん貧乏にしてきた。

知識は私たちを皮肉屋にした。知恵は私たちを非情で冷酷にした。

私たちは考えてばかりで、感じることが出来なくなってしまった。

機械が増えれば増えるほど、私たちには人類愛がより必要なのだ。

知識が増えれば増えるほど、優しさや思いやりが必要なのだ。

そうでなければ、人生は暴力で満ち、すべてを失ってしまう。


(一部抜粋)


チャップリンのこの映画は、興行的には大ヒットしたのですが、

彼の理念に反するように 世界はさらなる戦争の渦に巻き込まれ、

悲劇を拡大させて行きました・・・。


現代は・・・現代は・・・チャップリンが希求したような世界に

近づいているのかしら? それとも・・・・・?


最後に・・・・・


yayat283氏が、チャップリンの演説に合わせて作成した美しい動画がありました

(3分34秒)興味のある方はどうぞ・・・

充分に 現代にも( いや、現代こそ!だね・・)通用する言葉だと分かりますから。

・・・このスピーチが、あなたの心にもきっと届くと思います。



さてと・・・今日はこれでお終い。

またね。
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2013年04月13日

「 決闘の日 」に読む 『 幸 福 の 王 子 』 by オスカー・ワイルド



こんにちは、また来て下さってありがとう。


4月13日は「決闘の日」・・・。


宮本武蔵と佐々木小次郎が、巌流島で決闘をした日だからそうですが・・。


で、なぜに 『幸福の王子』かというと・・・武蔵は二刀流で 小次郎といえば・・・

つばめ返し?・・・つ ば め ・・・ツバメ・・・『 幸福の王子 』だあ〜〜!

・・という実は苦しい理由なんですわ ww



はい 今日の読書は 『 幸福の王子 』  著者:オスカー・ワイルド

出版元:バジリコ  訳者: 曽野 綾子  画: 建石修志



著者は オスカー・ワイルド(1854〜1900)。 あなたも御存知のように

あまりにも著名な英国・ヴィクトリア朝の詩人・劇作家・小説家・・・

131px-Oscar_Wilde.jpg


(引用元:Wikipedia  作品のイメージと 本人の容姿がこれほど一致する作家も珍しい ww )


アイルランドのダブリン出身で、父親は後にヴィクトリア女王の専属医を

務めた程 高名な耳目外科医であり、母親は社交界の花形でもある詩人でした。

非常に裕福で知的な恵まれた家庭に生れ育っています。


その後、貴族の子弟が殆どを占める超エリート校・オックスフォード大学へ。

ロマンティックな古典的衣裳が似合う 長髪の美青年は在学中から

英国社交界の有名人に。卒業後はアメリカ講演やパリへの滞在、

そして結婚して2児をもうけます。



『 幸福の王子 』はワイルドが34歳の時に出版され、

自分の子ども達にも 読み聞かせていたそうです


『 サ ロ メ』『 ド リ ア ン ・ グ レ イ の 肖 像 』 などドラマティックな悲劇作品

『 ウ ィ ン ダ ミ ア 夫 人 の 扇 』『 真 面 目 が 肝 要 』などのロマンティック・コメディ等で

人気を博したものの、同性愛の罪により投獄・・・

『 獄 中 記 』は愛人の青年ロバート・ロスにより 死後出版されました。


出獄後は 世間に受け入れられずに失意のままに46歳で死亡・・・


芸術至上主義をそのまま 実践したドラマティックな人生を歩んだ人物であり、

作品のみならず、その生きざまは 後世の人々に大きな 影響を与えました



『幸福の王子』を初めて読んだのは小学生のときでしたが、丁度同じ頃に

読んだ 新美南吉の『 ご ん ぎ つ ね 』と対をなすようなイメージで

読んでいた記憶があります。 いや、内容は全く違うんですけどね ww


ただ、子ども心には “ 良い事をしたのに、理解されずに死んでしまう

という点で同じように思えたんですよ。


その後、『 サロメ 』や『 ドリアン・グレイの肖像 』を読んだのですが、

こういった 退廃的な美しさをたたえた作品と『 幸福の王子 』との間には

大きなギャップが有る様な気がしてなりませんでした。




今回 改めて読み直してみたのは 曽 野 綾 子 氏 の 新 訳 のもの。

パール・ホワイトベージュ地に 繊細なイラストが美しい本でした。


この年になって読むと、キリスト教(カトリック)の 愛をベースにして書かれた作品

である事に気がつきます。



“ 幸福の王子 ”の像は、自分自身の剣のルビーも両目のサファイアも

全身を覆う金箔のすべてを貧しい人々に与えてしまいます。


運ぶように頼まれたツバメは、早く南国のエジプトに行きたいと自分の

都合も考えたり「そこまでしなくとも・・・」と王子を諌めたりもしながらも

王子の善意に心を打たれ、病気の子どもや貧乏な劇作家、

マッチ売りの少女たちに運び続けます。




それからつばめは「幸福の王子」の所に飛び帰って、

自分のしたことを報告して、

「不思議なことに、こんなに寒いのに、温かい感じがするんですよ」

と言った。

「それは君が、いいことをしたからだよ」

と王子は言い、小さなつばめはもの思いにふけりながら眠り込んでしまった。


(一部抜粋)



自分の持っている美しいものを全て他の人々に分ち与えた王子は

すっかりとみすぼらしい姿になってしまいました。


そうして、王子に心を打たれたつばめは冬になっても 王子の傍を離れず

ある寒い朝、ついに凍え死にしてしまいます。



まさにその時、王子の像の中で 鉛の心臓が真っ二つに割れてしまいます。

極度に下がった気温のためか、それとも・・・・・・


やがて、王子の像もつばめの死骸もみすぼらしく美しくないモノとして

処分されますが、溶かされた王子の像の中の 鉛 の 心 臓 だけはどうしても

溶けないので、そのままゴミ箱へ・・・そこにはツバメの死骸も・・・。




神が天使の一人に言った。

「この町で、一番尊いものを二つ持ってきなさい」

すると、天使は神の所へ、割れた心臓と つばめの死骸を持ってきた。


(一部抜粋)



まさしく 愛 と 究 極 の 自 己 犠 牲 の 物 語 なのですが・・・


19世紀末の 退廃的なデカダンス文化を 象徴するような作品を書いていた

オスカー・ワイルドではありますが・・・

『 幸福の王子 』は 信仰心が無ければ とうてい書けない作品としか思えません。


ベースに、こういったキリスト教への強い帰依があった上での“ 芸術至上主義 ”

あるいは 美学のような“ 背徳 ”だったのでしょうか?


訳者の曽野綾子氏がクリスチャンである事はあなたも御存知だと思いますが

この作品の後書きで、こう語っておられます。



平和や愛とは、そのために自分の持ち物や財産をどれだけ差し出し、

自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認することだ、

ということを悟るはずである
。(中略)


私たちは現代の生活でしきりに 同感や連帯を口にするが、現実に命を捧げる

ということまではほとんどしない。考えもしない。

幸福の王子とつばめはその愛の本来の厳しい姿を完成した。



誰にも知られず、誰にも 感謝されずにであった。(中略)

天使は、命をかけた愛とその真の意味での同情者を選んだ。

(一部抜粋)


私自身は、“ 愛 ”という言葉からは甘く優しい穏やかなものをイメージするですが

曽野氏は、ここで「 愛 の 本 来 の 厳 し い 姿 」と書いておられます。


まさにそれこそが、キリスト教(カトリック)の愛なのかもしれません。

クリスチャンである 曽野氏だからこその発言だと思うな・・・


この後書きだけ読んだら、何だかお説教臭く感じられるかもしれませんが

『 幸福の王子 』を読んだあとになら、とても素直な気持ちで読める文章でした。



この先も、キリスト教をテーマにした作品のこともお話できるかもしれませんが


今日は、この辺でお終いにしましょうね。

それでは、また・・・・・





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2013年04月11日

「アイヒマン裁判開始の日」に読む 『 アイヒマン調書− イスラエル警察 尋問 録音記録 』



こんにちは、また来て下さってありがとう。


4月11日は、「アイヒマン裁判開始の日」になります。


正確には、1961年4月11日。 名前はアドルフ・アイヒマン、ドイツ人です。

ア イ ヒ マ ン ・・・この名前にピンと来るでしょうか?


ドイツ人で イスラエルで裁判にかけられる様な人物ならば・・・犯した罪は?

はい、そうです。アイヒマン(1906〜1962)はドイツのナチス政権時代に、

ホ ロ コ ー ス ト に 関 与 していました。



数百万人のユダヤ人を 強制収容所に送り込む、その指揮を取っていた人物です。

具体的には、輸送の責任者で、メイン業務はデスクワークでした。

「 最 終 計 画 」つまりユダヤ人を 全部抹殺するという計画のため、

強制輸送をベルリンで指揮していたのです。



戦後、アルゼンチンへ亡命していましたが、イスラエル諜報特務庁の

追及の手から逃れられずに逮捕、イスラエルに連行されます



そうして、1961年の4月11日から「人道に対する罪」と戦争犯罪の

罪で裁判にかけられ、12月には 有 罪 ・ 死 刑 判 決 が下されます。


ちなみに、裁判の様子はラジオで生放送され、イスラエル国民の多くが

ラジオに釘付けになり、通りから人影も消えてしまったとか・・・・・

1962年には 絞首刑が執行されました。



裁判の前にイスラエル警察は8ヶ月間、275時間もの時間をかけ、

尋問を行いました。その尋問官とアイヒマンとの録音記録が・・・・・




はい 今日の 読書は 『 アイヒマン調書 − イスラエル警察尋問録音記録 』

by ラング・ヨッヘン・ファン   小俣和一郎訳    岩波書店




著者のラング・ヨッヘン・ファンは『 ヒトラー 帝国 最後の 100日 』で

有名なジャーナリストです。



う〜ん、今日の本は少々重苦しいものになりましたね。



アイヒマンと、この裁判については、相当数の関連書が出版されていますが

有名なところでは・・・・・



『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 』 by ハンナ・アーレント


『 われらは、みなアイヒマンの息子 』 by ギュンター・アンダース  etc



敢えてこの本にしたのは、取り敢えずは この本にはアイヒマンの

発言がストレートな形で載っているから・・・


ただ、この記録はあくまでも イスラエル側の発表した記録 である事は

一応は頭に入れておきましたが。


この記録の信憑性について、モサドがこんなに紳士的に

尋問するだろうか?という意見もあるようですが

尋問する上でのテクニックとして、敢えて紳士的に接する事はあるからね ww



尋問したのは、アヴネール・W・レス というイスラエル警察の大尉。

父親や十数名の親族がナチスの手によって犠牲になっています。



アイヒマン VS ヘス


この二人の対話による記録がこの『 アイヒマン調書〜 』ですが・・・



ところで、再度お尋ねしますが、あなたはアイヒマンの事を御存知でしたでしょうか?


私は・・・私は・・・よく知りませんでした。



ナチスのゲッペルスやヒムラー、またはメンゲル博士のように名の知れた人物ではないし

党の中でのランクも高くなかったはずだしね。( 最終的な階級は 親衛隊 中佐 )



ただ・・・戦後アルゼンチンに亡命していたナチの残党がイスラエルの

諜報機関により逮捕された・・というのをエピソード的に知っていた位かなぁ。


で、何で そのエピソードを覚えているかというと・・・逮捕されたとき

お花屋さんで、奥さんの誕生日のために花を買った後・・というのが印象に残っていたから。

残虐極まるナチスと、奥さんのために花を買うというギャップが忘れ難かった。



アイヒマンの名前は既に 1945年のニュルンベルク裁判で挙がっていたけれど、

それ程階級も高くないアイヒマンが本当に関与したのか?

ユダヤ人虐殺のキーマンだったのか?という疑問は残されていたみたい。


それが明らかになったのが、この時の尋問といえるでしょう。



さまざまな資料や記録・証言を元にして、ヘスがアイヒマンに尋問していくのですが

アイヒマンの答えは(ある意味では)終始一貫して変わらないんだよ。



その代表的な答が・・・・・これかなぁ・・・・・




レス:しかし、あなたは職業上、ガス室殺人について知っていたじゃないか!


アイヒマン:それは、もちろん気付いていました、知っていました。


レス:ユダヤ人問題の最終解決において ユダヤ人を完全に抹殺する

という考え方に対するあなたの見解は?



アイヒマン:それについては、すでに申上げたはずです、大尉殿。

当時、そのことを最初に聞いたとき、それは・・・・・・前に言った

ように、まるで殴られたかのような ショックを受けました。

これも言いましたが、最初に現実を見たときも、がくがく震えました。

それが事実です。 


その後 自分が抹殺には 関与しなくて済んだということが、どんなに幸いなことだったか。

私は 抹殺には何一つ 関与しなくて済んだんです。



レス:でも、移送業務も 抹殺の一つだったのでは


アイヒマン:大尉殿、すでに申上げたとおり、誰がその作業に参加して、

誰が参加しないのか------それを決めたのは私ではありません。

私は単に、移送せよとの命令を受けただけです。
(中略)


われわれはヒトラーの命令に 従うかどうかのチャンスを与えられただけで、

私はそれに一つの 可能性を見出しただけです。


私は従いました。その命令の如何に拘らず、従ったでしょう。

それは確かです、従いましたよ。実際にも、服従しました。

自分の意思で従いました、大尉殿。


私は・・・・・・当時は、そうすることが私の考え方でした。

自分の受けた命令に私は従いました。


(一部抜粋)



う〜む・・・・・要するに、自 分 は 命 令 に 従 っ た だ け だ か ら

責 任 は な い ! と 主 張 しているのですよ。



確かに、アイヒマンは 政策決定者ではありません。 上からの命令に従っただけの

まあ、いってみれば 中間管理職的な?官僚の一員に過ぎなかったのだけれど・・・

けれども、その命令に対して NO!と言わなかった事が罪 であると判断されたわけ。

組織の中の歯車であっても、罪は罪ということでしょうか。



法廷ではアイヒマンは、最後に本を執筆したいと希望したようです。


あの異常事態で 個人は何が出来たか、戦争では悪が合法化されるから、

その時に、個人的・市民的な正義で防げるのか?


私が抹殺されて終わりである(他の人間がその任務を遂行するだけだから)と

主張して本が書きたいと希望したようですが、これは却下されました。




さてと・・・・・



アイヒマンが処刑されて、いったん切りがついたように見えるけれど・・・

これは、ナチス時代の特殊な出来事か?というと・・・それは・・・・・

もちろん、アウシュビッツのような事はもう二度と起らないと信じたいよ。


けれども、このアイヒマンの問題は終わってはいない。


アイヒマンは、自分は忠実に職務をこなしただけだ、それが罪なのか?と主張した。

現代の 私たちは「そうだ、それが罪だ!」と容易く言えるけれども・・・



いや、そもそもアイヒマンはアルゼンチンに逃亡していたのだから、

即ち、悪い事をしたという自覚があったはずでは?


また、アイヒマンの写真が少ないのは、戦争が終結に向かうにつれ

写真を撮られることを拒否するようになったかららしい。

自分が 戦犯として手配される事が予測がついたから?


ならば、やはり、与えられた命令が、悪であると知っていたからでは

しかし、自分が収容所に送り込んだ人々が、その後どうなったかについては

全く考えてはいない。というか・・・想 像 す ら し な か っ た みたい・・・。



裁判の一部を傍聴していた ユダヤ系 哲学者 ハ ン ナ ・ ア ー レ ン ト は、

アイヒマンのことを「 悪 の 凡 庸 さ ・ 陳 腐 さ 」と名付けました。


アイヒマンが 残忍な異常者・殺人狂のような人物ではなく、逆に、命令に

対しては 無条件に盲従する下っ端役人である事を知った上で・・・

個人が 思慮と良心に欠けた状態で、組織の歯車に組み入れられてしまうと、

とんでもない悪事を犯してしまう、それが問題
であると・・・・・



このアイヒマン裁判については、ノンフィクションは多いけれど、

例えば、日本の作家の中で 作品中で(もしくはエッセイでも)

言及されたものはないかとも考えてみたけれども

なかなか思い浮かばなかったなぁ・・

うかつに発言できない 問題を孕んでいるからだけれど



強いて言えば・・・ 村 上 春 樹 ぐらいでしょうか?

『 海 辺 の カ フ カ 』 でほんの少し触れられています。



アイヒマン裁判の本を読んで、アイヒマンに思いを馳せるシーンがあった

と思うけれど・・


優れた実務家であるアイヒマンは 罪悪感を感じることなく、効率的に

最終計画をこなすために 頑張って計算をした。 業務に忠実に。

だから、罪悪感を感じることがないし、自分がどうしてこんな裁判に

かけられなければいけないか、分かっていない。

結局は 想像力の問題なのではないか、自分達の責任は 想像力から始まる、と

記されていた記憶があります。



さすがは作家、さすがは村上春樹というべきなのでしょうね・・・・・

(ハンナ・アレントを意識したと思われますが)



何だか、まとまりが無いけれども、今日はこの辺で終わりましょう。

でも、最後にあなたに聞かなければね、自分自身への問いかけでもあるけど


「 あなたは 命令されたら、どんなことでも 忠実に 行いますか ? 」と。


それでは、またね・・・・・次のアップは明後日になります。

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